2008年10月
マナスル8163mに日本人として初となる単独・無酸素登頂
山頂からスキー滑降
Ascents - Autumn 2008
Manaslu (continued)
Oct 12 09:45 Nobukazu Kuriki** (Japan)
himalayandatabaseの2008年秋、マナスルを見ると、計91人が登頂。 そのうち、22人に**マークがつき、(頂上の手前まで)の注釈つき。 栗城はその1人。日本人登頂者7人の中でも、真の登頂を果たしていないのは栗城1人。 10月12日登頂の8人でも、登頂していないのは栗城のみ。
>>258 同じ日に真のピークまで行ってないのも栗城だけだね。 最初に登ってるし時間的余裕はあったろうに。 これでは技術がないと思われても仕方がない。 Oct 12 09:45 Nobukazu Kuriki** (Japan) Oct 12 11:23 Ms. Eun-Sun Oh (S Korea) Oct 12 11:23 Dawa Wangchuk (Dawa Ongchu) Sherpa (Mathilow, Nepal) Oct 12 11:23 Pasang Tenzing (Pasang Tenji) Sherpa (Upper Walung, Nepal) ** indicates fore-summit only
Ascents - Autumn 2008
Manaslu (continued)
Oct 12 09:45 Nobukazu Kuriki** (Japan)
偽りの登頂が目立つようになったのは、やはり公募隊に代表される8000m峰大衆化時代になってからである。
マナスル登頂者のなかには、手前のコブを「認定ピーク」と呼んではばからない人物がいる。
頂上ではなく認定ピークに登ったということは、頂上手前のコブで敗退したのと同義なのだが、
そういったレベルの登山者が無酸素・単独登頂の成功者としてメディアに登場するご時勢なのだ。
「あなたは、マナスルには登頂していない。あなたが登ったのは手前のコブ。本当の頂上は、その先にある。わかってるわよね?」
口調は穏やかだが、強い目だった。栗城さんは、渋い顔になった。
無事に今、C3に着きました。
(中略)
今、ロシア隊のテントの中にいます。
ロシア隊はもう登山終了らしく、ロシア隊のシェルパが使っていいよと言ってくれていたので、使わせてもらいました。おかげで広いテントの中、一人でいます。
キャンプ4に着くと黄色いテントがぽつんと立っていた。フランス隊が捨てていったテントだ。中には靴下や使用済みの酸素ボンベが転がっていた。少し異臭がするが、自分のテントを立てるより、ここで少し休み時間を稼いだ方がいいだろう。
午後0時。山岳カメラマンが待つ標高6900m地点にまで降りる。
ロシア隊が捨てていったテントの中に入り、体を横にする。
マナスルベースキャンプには多くの隊が滞在していますが、その中でも最大の規模を誇るのがNZのラッセル・ブライス隊です。
このラッセル隊はもっとも早くからマナスルに乗り込んで、現在C3までのルート工作はすべてラッセル隊が行っています。
BCにいる20以上の登山隊と10人以上のソロ・クライマーたちは、それぞれにルート工作を行うわけではなく、
使用料を支払って、ラッセル隊が作ったルートを使っています。その代り、雪などでルートが埋まった時などは、
ラッセル隊のシェルパ達が掘り出してくれるのです。
2008年秋にマナスルの山頂から滑り降りた。しかしマナスルでは4回ターンしたところで気絶し、
雪の塊に突っ込んだところで目を覚ました。スキーは有酸素運動なので、8000メートルで滑ると、
酸欠状態になり、頭が真っ白になってしまうのだ。
午後0時。山岳カメラマンが待つ標高6900m地点にまで降りる。
今日は、栗城君はC3からC4へ移動。
徐々に標高が高くなるため、なかなか思うように体が動かない様子でした。
通常、シェルパで3時間、平均して4~5時間かけて移動するのですが、栗城君
は8時間かかってしまいました・・・・。
昨晩、出発時間を決める際、シェルパが4時間あれば着く(シェルパがね)と言ったら、
栗城君、「じゃあ、早く着いてもやることないからお昼すぎにでればいいですね」
一同「。。。。」
これまでの栗城君のペースをみても、シェルパと同じ時間で行動するのはありえない。
BCから必死でもっと早く、6時か7時に出てもいいと説得するも、
なかなか言うことをきかず、結局出発予定時刻は9時になった。
しかし、今日出発したのは10時・・・。
BCでは僕とサーダーの、溜息がもれたのでした。
案の定、シェルパが30分で移動した距離を2時間もかかる出だし。
このままではC4まで12時間、着くのは真夜中でピークアタックどころではない・・
「あと何時間でつくんですか!」
と半分キレながら無線を送ってくるが、それを決めるのは栗城君の足次第。
僕には見守る以外できることはない。
あまりにペースが遅くなったら、引き返すよう説得するくらいだろう。
しかし栗城君、後半はがんばった。
午後2時を過ぎたくらいから突然ペースが上がり、なんとかC4到着の目途がたちました。
*1 第8刷 2013年7月発行で修正されていないことを確認