エベレスト(3回目)




ルート

2回目のエベレストに続き、ルートはネパール側のノーマルルート。
ネパール側のルートは氷河がずたずたに裂けたアイスフォールと呼ばれる場所があり
とても単独では登れず、本当に単独で登るつもりなら初めから選択肢に入れないルート。
栗城は相変わらず他人にかけてもらったハシゴを堂々と使っている。
アイスフォールには通常フィックスロープも多いが、これは動画には出てきていない。

(なお、氷河は動いているのでハシゴはシーズン毎にかけ直さなくてはいけない。
 同じシーズン中でも氷塊が崩壊するなどして、ハシゴをかけ直すことはよくある。)

動画編集

動画は相変わらず自分の顔や足元、進行方向とは別の風景ばかりを映していて
目の前のこれから登る斜面や、これまで登ってきた斜面がほとんどカットされており
どんな風に登っているのか良く分からない。
特定の方向しか映さないので今どの位置にいるのかもはっきりしない。

シシャパンマから動画編集がさらに入念になっている感がある。

シェルパを12人も雇っている

スタッフの人数が全部で19人、そのうち日本人スタッフが7人なのでシェルパは12人と推測される。

アタック出発の動画 スタッフは全部で19人
http://www.youtube.com/watch?v=no0GNYRYMkM#t=2m30s
日本人スタッフ紹介の動画 日本人スタッフは全部で7人 
http://www.youtube.com/watch?v=t_rNaV8Vc2g#t=3m30s

1人だけ軽いデイパックを背負い、ベースキャンプは到着時に設営済み
他のメンバーが大型のザックを背負う中一人だけデイパック(BREVENT 37の雨蓋を取り外したもの)に入る程度の軽装でBC入り。到着時にはシェルパ用だけでなくメイン基地用のテントも既に完成している。
http://www.youtube.com/watch?v=J20SCRmxXlo

シェルパによる荷上げ疑惑

アイゼン2つ、テント3つ、ピッケル3つ、レトルト食品など、とても単独とは思えない装備を荷上げしている。
このうち高所順応のときにアイゼン2つ、テント3つ、ピッケル2つ、レトルト食品を1回の荷上げでC2以上まで運んでいる。
(C1→C2の移動は9/29の1回のみなので、1回でこれらを荷上げしたことになる。)

テントを3つも持っている (1つのテントはC2に張ってある)
ナマステ。今6400mのC2からローツェフェイスの取り付きまでテント2つと食料をデポしに行きます。
やはり腰の調子があまり良くないですけれども、一日休めば大丈夫だと思います。
こちらは快晴無風です。今日も頑張ります。

アイゼンを2つ持っている
ローツェフェイスに取り付こうとするが軽量化したアイゼンが刺さらず、C2でアイゼンを変えて再びアタック。
ナマステ。現在C2に降りてきました。本来はC3まで上がる予定でしたがローツェフェイスが思いのほか硬く、
軽量化したアイゼンを持ってきたんですけどなかなか刺さらず、頑張れば上がれたと思うんですが、
滑落するのが危ないなと思い取り付きの所で荷物をデポし下山してきました。
今夜12:00にアイゼンを替えて再びサウスコルに向けて行きます。
12時間行動という長い行動ですがやり甲斐があります。
10月2日 http://twitter.com/#!/kurikiyama/status/120384950129278978
(※)「軽量化アイゼンを事前テストせずに使ったのか?」「昼間に雪が硬くて断念したのに雪が硬い夜に登る?」
「急にC3を飛ばしてC4サウスコルを夜中から狙う」などの突っ込みどころが沢山…

ピッケルを3つ持っている いきなりピッケルが出てくる
順応時にC2に上がったときはペツルのピッケルを2つ持っている。
http://www.youtube.com/watch?v=v2P-11BPmrU#t=1m40s
その後、アタックステージでBC出発したときはピッケルを持っていない。
http://www.youtube.com/watch?v=no0GNYRYMkM#t=2m30s
その後、アタックステージで最高到達点に達したときはミゾーのピッケルを持っている(急に出現)。
http://www.youtube.com/watch?v=ZzwzLbIFrlA#t=2m13s
(※)アタックの前にC2に上がったのは1回だけ。ペツルとミゾーはスポンサーではない。

食事はレトルト食品
現在C2で夕食を食べます。今夜の食事は江崎グリコの牛丼のレトルトです。
食べて、寝て、深夜0:30からオールナイトで登って行きたいと思います。
日本の皆さんは今日何を食べていますか?お腹いっぱい何か食べたいです。

いきなり竹竿が出てくる
BC出発時に持っていなかった竹竿がC1手前でいきなり出てくる(一番初めにC1まで登ったとき)。
BC出発動画
http://www.youtube.com/watch?v=buflFj5lu6Q
C1到着
http://www.youtube.com/watch?v=xlU6DtfWB6Y#t=4m43s


ルートを外れる


 結局アイゼンを変えてもダメだったようで、「ブルーアイスがあり危険(※1)」という理由でC3を経由せずC4の方向に直接向かう(※2)。その後C3の方向に軌道修正することも無く、そのまま進んだらサウスコルの巨大な氷帽の縁(ほとんど雪庇か懸垂氷河に近い)の真下に行き着いて行き止まりとなる斜面(栗城曰く「サンス・クーロワール」だが、クーロワールとは岩溝のことであり、ここにはそんな岩溝はない)を直登してしまう。当然そこは平坦地ではないただの斜面の為テントを張れず、馴化の為の宿泊もしないまま荷物を置いてC2に引き返した。 

その後最終アタック時にも一旦C3方面へ向かったものの(最初に置いた荷物はどうした?)、結局ブルーアイスで行き詰まりサウスコルに向けて斜面をまっすぐ直登していくこととなる。


10月11日(火)今朝キャンプ2(6400m)を出発して氷河取り付き部(6500m)まで行きましたが、キャンプ3(7200m)からキャンプ4(7900m)までのブルーアイス地帯をトラバース(横に移動)するよりも、高所順応で一度通ったキャンプ2から直接キャンプ4へ向かうルートの方が自分自身の足跡も残っていて安全と判断し、慎重に進むためにも一旦キャンプ2に戻りました。 今晩、再度キャンプ2を出発して氷河取り付き部まで登り、休憩を挟んでキャンプ4を目指して出発する予定です。 今晩からの行動時間が長くなりますが、硬く凍ったブルーアイスは大変危険なため、慎重に進むことを第一優先にしております。 なお、現在のところ登頂予定日時に変更はございません。



(※1)なお、同時期に入山したアジアントレック隊は普通にC3で馴化の為のキャンプを行っていた為、難易度自体はそれほど高いものではなく、単に栗城の技量が低かっただけと思われる。

(※2)C4を設置するサウスコルに登る際には、通常はC3からイエローバンドを通過した後にジェネバスパー(ジュネーブのシュプール)といわれるミックス帯の右側を回りこんで登攀することが必要で、ここは頂上を目指す登山者にとって技術を要求される中盤の難所となる。

最高到達標高をサバ読み

7800mまで登ったとしているが、GoogleEarthで検証すると約7600mまでしか登っていない。

動画の最高到達点の位置 6:15~
http://www.youtube.com/watch?v=Hcl9oYXuo1w

検証まとめ画像
BC望遠カメラから見た図 この視点からだと斜面の上部が小さく見える
全体の鳥瞰図 ローツェフェイス下部のルートは詳細分からないため推測

栗城カメラの視点での比較画像
7700m地点7600~7800m栗城カメラ

最高到達点 約7600m 座標(27.973682,86.925204 付近)
BC望遠カメラ位置 標高 約5640m(28.005498,86.840047 付近) [誤差/同・最大で50メートル程度]
※経緯度データをGoogle Map、Google Earhtの検索窓にコピペすれば、各自で検証ができます。
 栗城の右に大きな溝のある岩があるのでそれを使うと比較しやすいです。

スケジュール


当初の予定

(BC→5300m、C1→6000m、C2→6400m、C3→7200m、C4→7900m 行程表には記載されていないが、出発直前の8月25日に行われた記者会見の様子を伝えるファウストAGの記事ではC5→8200mの設営予定も記載されている) 画像
8月28日 日本出発
8月29-30日 カトマンズ
8月31日-9月6日 移動
9月6日 BC入り
9月10日 BC→C1→BC 高所順応
9月11日 生中継
9月12日 BC→C1 荷上げ開始
9月13日 C1→C2(ABC)
9月15日 C2→C3
9月16-17日 C3→C2
9月18日-19日 C2→C4
9月20日 8000m地点 生中継:8000mからの課外授業
9月20日-21日 C4→BC
9月22日ー28日 休養
9月29日 BC→C1 アタックステージ開始
9月30日 C1→C2(ABC)
10月2日 C2→C3
10月4日 C3→C4
10月5日 C4→山頂→C3 山頂アタック・登頂生中継
10月6日 C3→C2
10月7日 C2→BC
10月10日 BC撤収・移動開始
10月14日 カトマンズ到着
10月17日 ネパール出国
10月18日 帰国

実際の行程表

8月28日 日本出発
8月29日 カトマンズ着
8月31日 カトマンズ→ルクラ→パグディン
9月1日 パグディン→ナムチェバザール
9月2日 近くの丘でトレッキング
9月3日 ナムチェバザール→パンボチェ ペリチェまでの予定を手前で打ち切り
9月4日 パンボチェ→ロブチェ
9月5日 ロブチェ→ゴラクシップ
9月6日 ゴラクシップ→カラパタール Ustテスト配信
9月7日 BC入り
9月8日-9日 休養 高熱が出たとツイート
9月10日 BC→C1→BC
9月11日 BC 生中継
9月12日 BC 中継基地設営
9月13日 BC 通信テスト
9月14日 BC
9月15日 BC→C1(途中まで)→BC 木野カメラマン遭難死
9月16日-18日 BC ステイ 18日に地震発生
9月19日-20日 BC ステイ 地震による雪崩を理由に停滞
9月21日 BC→C1
9月22日 C1→BC ラダー崩落を理由に下山
9月23日-26日 BC ステイ 悪天候を理由に停滞
9月27日 BC ステイ 雪崩待ちで停滞
9月28日 BC→C1
9月29日 C1→C2
10月1日 C2 C3に向かう予定が引き返す
10月2日 C2 C3に向かう予定が途中でデポし引き返す
10月3日 C2→7600m地点→C2 7800mに到達したとツイート
10月4日 C2→BC→ゴラクシップ
10月5日 ゴラクシップ ステイ
10月6日 ゴラクシップ→BC
10月7日 BC 登頂予定日が13日に変更とツイート
10月9日 BC→C2 咳がバンバン出るとツイート
10月10日 C2 ステイ
10月11日 C2→C3方向→C2 ブルーアイスを理由に引き返す
10月12日 C2→7600m地点→C2 デポをカラスに荒らされたとツイート
10月13日 C2→C1→BC C1で生中継
10月18日 ナムチェバザール→ルクラ
10月19日 ルクラ→カトマンズ
10月20日 カトマンズ ホーリーさんに褒められたとツイート

ホーリー発言を歪曲

下山後に栗城が著名山岳ジャーナリストのエリザベス・ホーリーの発言を捏造。→詳細はこちら

①下山後に栗城が「ホーリーさん達に褒められた」と発言。
②違和感を感じたスレ住人がホーリーさんに直接メールで問い合わせる。
③ホーリーさんから返信が来る。「この返信を公開して良いか?」と更に返答待ち。
④栗城サイドと思われる人間(?)から「公開するな」「公開したら許さない」等の書き込み発生。
⑤ホーリーさんからの返信公開。発言が大幅に歪曲されていた事が発覚。

栗城発言

ナマステ。先程、ヒマラヤの記録会社のエリザベスホーリーさん達からの記録取材で
僕が登ったサンス・クロワールは、アンカーが取りずらく、ほとんど人が入ったことがなく、
「カラス事件はあってもアルパイン・ソロでそこを登ったのは凄いから胸を張りなさい」
と久しぶりに褒められた。

ホーリー女史のコメント

「栗城に一度も会ったことはない」 (栗城のところへは助手に行かせてる)
「栗城が行ったと言っているルートに関して、前人未到のルートとは助手は一言も言っていない。栗城に証拠となる写真の提出を求めたが、出してくれなかった」
「栗城はソロ(単独)ではない」 (当然アルパイン・ソロでもない)
「自分は記録会社なので、記録するだけで誰も褒めない」 (そもそも会った事がない)

テレビ特番

テレビ東京 『地球の頂へ 栗城史多 新たなる挑戦』 2011年11月20日(日) 午後4時00分~5時15分放送
http://www.tv-tokyo.co.jp/program/detail/21320_201111201600.html

自分で編集した動画と違い、トレースを登っているシーンがあった
栗城が今シーズン初めて到達した場所にも関わらずトレースを辿っていた。

すぐ後ろから撮影されたシーンが存在
カメラが動いていたので自分撮りではなくカメラマンによる撮影で間違いない。単独でないことは明らか。
問題のシーンは下の動画の1:50から出てくるクレバスを渡ったあと。
テレビ放送ではすぐ後ろからカメラマンが撮影したシーンがある。
http://www.youtube.com/watch?v=eJKTMc_WFvc

荒された?行動食の中身

行動食に蒟蒻ゼリー
また、この番組ではカラスに荒されたと主張しているデポ食料の内容が一部明らかにされた。 これまでに上げられた動画では「ソバ」(恐らくスポンサーの日清食品が提供したシェイク焼きそば)が中心とされているが、これ以外に行動食として「蒟蒻ゼリー」が含まれていたことが新たに触れられている。


蒟蒻ゼリーは低カロリーのダイエット食品の上、老人や乳幼児が誤嚥しないよう一口ずつ開封しにくいパックに入っており、少ない量で効率よくカロリーを摂取することが求められる行動食としては著しく不向きの物であることは言うまでもない。 行動食としては江崎グリコがチョコレート味羊羹を開発・提供しているのに、よりによって最終アタック段階の食料に不適な製品をスポンサーでもないのに持っていった理由は全く不明である。

参考データ

  • 同時期に同ルートからエベレストに挑んでいたアジアントレック隊の記録
(10月7日にC3で馴化の為の宿泊をしたが、積雪量が多く登頂が不可能なコンディションと判断して撤退。14日にカトマンズに帰還した)
UAE Mt.Everest Expedition 2011 Autumn ※リンク切れ →インターネットアーカイブ
  • 日本ヒマラヤ協会のデータベースによる2011年の海外遠征日本隊の記録
2011年日本隊リスト(pdf)
プモリ峰を含めBCより上に行く日本人隊員の数だけで5人いると思われる。

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最終更新:2015年09月29日 02:43