エベレスト(8回目)

2018年春 エベレストまとめ

性懲りもなくトレッキング経験すらない素人スタッフを帯同。完全な仕上がりを豪語も順応ステージで早くも体調不良に。ずさんな行動の果てについに遭難死



昨年につづき春の入山。なんと今回は先にローツェに登り順応、その後エベレストに連続登頂という出鱈目なプランをぶち上げた。
今年からネパール政府がエベレストの単独登山を禁止したが、相変わらず「単独無酸素」を吹聴している。






ネパール当局がエベレスト単独登山を禁止

ネパール政府は安全対策のため、この年から単独登山と障害者の登山禁止を決定した。
ネパール当局は、事故を減らすための措置として、世界最高峰エベレスト(Mount Everest)を含め、同国内の山に単独で登ることを禁止した。

ネパール内閣は28日、同国の登山規制の改定案を承認。来春の登山シーズンを前に示されている一連の対策の一つとして、国内の山の単独登山を禁止した。
2017年12月30日 AFPBB News http://www.afpbb.com/articles/-/3157116

※障害者の登山規制は差別であると訴訟になり、2018年3月に判決で撤回された。単独は規制されたままである。

素人スタッフ

一昨年秋も登山経験がほとんどないスポーツライターを帯同させ、まるで役に立たないとモヒカン刈りにさせてイジメか晒し上げのような行為を行っていたが、今年も性懲りもなく登山経験はおろかトレッキングシューズすら持っていなかった映像クリエイターを帯同。直前にミウラドルフィンと思しき低酸素室に2回だけという準備でBCまで連れて行くという暴挙を行った。 これまでエベレストでは突然死、シシャパンマでは肺水腫というスタッフの深刻なトラブルを起こしているのに全く懲りた様子がない。

MILLETのトレッキングシューズ。 カッコいい!

初めての低酸素トレーニング

他隊の動向

アドベンチャーガイズ(以下AG)隊が同じく南東稜ルートで頂上を目指し、平岡竜石隊はチベット側から。また、社員に7大陸最高峰を制覇させるプロジェクトが話題となっている広告代理店DACの隊が倉岡裕之ガイドに率いられチベット側から登頂を目指す。他には中山岳史氏が国際公募隊でネパール側から入山。
ローツェではエベレストやカンチェンジュンガに登頂歴のある松本たつお氏(ブラジル在住、79歳)が5座目の8000m峰登頂を狙う。

スケジュール


出発時の発表スケジュール

詳細なスケジュールは発表されず。3月に別の6000m峰で順応登山、いったん帰国後に4月17日に出発というスケジュールが発表された。ローツェとエベレストの連続登頂というプランも発表したが、ローツェは順応としては標高が高すぎ、エベレストが目標ならばローツェに登っても体力を消耗するだけである。初めから登る気などなくハッタリをかましただけか、あるいはローツェだけでも登りたいと思っていたのか、それとも(ローツェとエベレストのノーマルルートが7800mまで同じなので)順応でローツェに登るという口実でシェルパに荷上げをさせようとしていたのか、意図は不明である。

本日からエベレスト(8848m)ローツェ(8516m)に向かいます。(無酸素・単独)

今年は無酸素で確実に登るために同じ山域であるローツェ(8516m)を高所順応で無酸素で登り、ベースキャンプまで下りてから体調を整えて、エベレストに向かいます。

そして、登るルートは自分の中で密かに溜めていた計画があり、ルートの状況を確かめてからアタック直前にルートを発表します。

実際の行程

BC入り~順応まで


3月21日 日本出発
3月26日 ナワン村→チュル・ファー・イーストBC(4900m)
3月27日 BC
3月28日 BC→チュル・ファー・イースト(6038m)→BC
4月3日 壮行会に参加
4月17日 日本出発
4月18日
4月19日
4月20日 カトマンズ→ルクラ(2860m)
4月21日 ルクラ→ナムチェバザール
4月22日 ナムチェバザール→タンボチェ(3860m)
4月23日 タンボチェ→ペリチェ(4270m)
4月24日 ペリチェ ステイ
4月25日 ペリチェ 「2日間39度近くの熱が出てました」
4月26日 ペリチェ→エベレストBC(5300m)
4月27日 BC ステイ
4月28日 BC ステイ
4月29日 BC ステイ
4月30日 BC ステイ プジャを行う
5月1日 BC 撮影メンバーが体調不良で倒れる
5月2日 BC 撮影メンバー帰国
5月3日 BC 「今日から登山開始の予定でしたが、昨日夜中からまた
38度を越える熱が出てしまい今日は上がりませんでした」
5月4日 BC ステイ
5月5日 BC→C2(6400m)
5月6日 C2→BC 強風のため撤退
5月7日 BC→ルクラ(2860m) (7日または8日)
咳が止まらないため、ヘリコプターでルクラまで下りる
5月8日
5月9日 ルクラ
5月10日 ルクラ→BC 「明日からまた登り始めます」
5月11日 BC ステイ
5月12日 BC→C2 「今日から高所順応で上部を目指します」
プジャ、出発動画をUP
5月13日 (夜中から)C2→ 「ネパール時間の夜9時から、7000mまで登ります。」
シェルパが頂上までのルート工作完了
5月14日 →ノーマルルート7200m地点→BC 「吹き下ろしの風が強いので」下山
両足義足の中国人登山家、夏伯渝(69)が登頂
5月15日 BC 79歳の日本人男性がローツェ登頂、最高齢記録
5月16日 BC
5月17日 BC 倉岡隊が登頂


アタックステージ

5月18日 BC→C2 南西壁ルートをとると、会員向け動画をUP
5月19日 C2 『1日で約1000mの標高を上げると体への影響が大きく出るので』
ステイ
5月20日 C2→7320m→(少し下がって)C3 GPSでは最高地点7320m。会員向けメールでは
「テントを張るため安全な場所を探して少し標高を下げ」た、とある。
AG隊が登頂
5月21日 体調不良で下山との連絡ののち、遺体で発見
その日のうちにヘリでルクラ、カトマンズまで搬出



遭難死

遭難死を報じた現地紙ヒマラヤンタイムスの記事

2018年5月21日16:40(現地時間)
Japanese climber Nobukazu Kuriki, 36, died while descending to lower camps on Mt Everest last night, rescuers revealed.According to Climbing Guide Ashish Gurung, rescuers retrieved Kuriki’s body from 7,200 m near Camp II.
日本人登山家の栗城史多(36)が、昨夜、エベレストで下部キャンプへ移動中に死亡した。山岳ガイドのアシシュ・グルンによると、救助隊員はキャンプ2に程近い7,200m(※)から栗城の遺体を回収した。
(※)標高はのちに事務局から6600mと訂正された
Kuriki had gone missing since 11:30 pm after he sent a radio message to his climbing guides at Camp II from Camp III for help, Gurung said. “A team of guides, who left for Camp III immediately after receiving his message, failed to trace him in the high camp,” he added. “Since then, the rescue team hadn’t heard anything from him.”
栗城は、キャンプ2にいた山岳ガイドにキャンプ3から無線で助けを求めた後、午後11時30分頃から行方不明になっていたとグルンは語った。
「メッセージを受けた直後にキャンプ3に向けて出発したガイドチームは、彼を追跡することができなかった」 「それ以来、栗城から救助チームに対しての連絡が途絶した」と彼は付け加えた。
Kuriki had asked for help as he suffered from persistent cough and pain, Gurung said. “It was impossible to locate him in the night as the radio network disconnected.” According to him, the team found Kuriki’s body above Camp II this morning.
栗城は、絶え間ない咳と痛みのため助けを求めた。 「夜間に無線通信が切断されたため、彼の位置を特定するのは不可能だった」とグルンは話した。彼によると、救助チームは、栗城の遺体をキャンプ2よりも高い場所で今朝発見したという。
Along with a filming crew and four high altitude workers, Kuriki headed to Mt Everest to attempt to climb the world’s highest mountain solo from the West Ridge route without supplemental oxygen, according to the expedition organiser, “Kuriki was alone at Camp III when he asked for help.”
栗城は、撮影スタッフと4人のシェルパとともに、エベレスト山に向かい、西稜ルートから無酸素で世界最高峰を単独で登ろうとしていた。遠征主催者によると、栗城が助けを求めた時、彼はキャンプ3に一人でいたという。
Earlier reports from the base camp, however, claimed that the alpinist was found dead in his tent at 7,400 m.
ベースキャンプからの以前の報告では、このアルピニストが7,400メートルのテントで死亡しているとされていた。
Tika Ram Gurung, Managing Director at Bochi Bochi Treks said that Kuriki’s body has been brought to TU Teaching Hospital for postmortem.
ボチボチトレック社のティカ・ラム・グルン社長は、栗城の遺体は検視を行うためトリブバン大学教育病院に搬送されたと語った。

NHKの記事
21日夕方、東京・中央区の栗城さんの事務所で、チーフマネージャーの小林幸子さんが取材に応じました。
それによりますと、栗城さんは現地時間の21日午前1時ごろ、標高7400メートルから少し降りた場所に張ったテントから「高山病で気持ちが悪くなり吐いている状態なので、これから下山する」と無線でベースキャンプに連絡があったということです。(中略)
登山をサポートするシェルパが捜索に向かったところ、現地時間の午前8時前ごろに体が冷たくなって呼吸をしていない状態で倒れているのが発見されたということです。

結局、栗城事務所から詳しい情報は公表されなかったが、後に藤岡利充氏が遠征スタッフに取材してまとめた記事はおおむね上記ヒマラヤンタイムスの記事と一致している。
(5月20日)20時30分ごろ「吐き気が止まらない。ちょっと異常な感じがして危ないかもしれない。今すぐキャンプ2に下ります」と無線で下山を伝える。23時ごろ「救助のため登ってくるシェルパのヘッドライトを目指す」と無線。この時点で栗城さんのヘッドライトは消えており、月明かりを頼りに下山をしていたと推定される。これを最後に、連絡が途絶え、翌朝シェルパが6,600m地点で栗城氏の遺体を発見した。下山中に滑落、全身を強打したことが死因である。
2018年11月21日(藤岡利充yahoo個人) https://news.yahoo.co.jp/byline/fujiokatoshimichi/20181121-00104935/
(高熱が出て咳が続いた後)
「結局、最後まで栗城は体調を回復できなかった。」
(藤岡利充氏の上記動画より)

関係者の証言

長く付き合っていた関係者は、栗城の様子が今回特におかしかったと証言している。

・2018年最後の遠征チームメンバー(おそらく魚住カメラマン
「俺から見ると辛そうでしたね。特に今年からは自分の足じゃなくて大人の背中、大人の手に押されているみたいな感じで。行かないとならねえみたいな、そういうふうに見えましたよ。本人はどうかわからないですけど。」
 (栗城事務所主催の追悼イベント展示より 2018年10月)

・マネージャーの小林幸子
――出発直前はどんな感じでしたか
「いつもよりは人に会う時間がものすごく多くて。遠征のための買い物とかだと分かるけど、どちらかというと人に会うためにあっちいったりこっちいったり。一番集中できていなかったんじゃないですかね今までで。なんかあんまり楽しそうでもなかった、(遠征に)行くことが」
(藤岡利充氏の動画インタビューより 2018年11月 キャプチャ画像) https://www.youtube.com/watch?v=jBEk-IBrL7g

・野口健(登山家)
野口さんは4月、ベースキャンプに向かう栗城さんと山中ですれ違ったという。「登るぞという高揚感はなく、追い詰められて参っているような雰囲気だった」

今季のエベレスト

今シーズンのエベレストは5月13日から24日まで11日連続で天候が安定したため、登頂者数が700人以上となり過去最高となった。死者数は5人と例年通りだった。


「2018年春のエベレスト登頂者数、807人の新記録」AFPBB News 2018年8月17日
世界最高峰エベレスト(Mount Everest、標高8848メートル)の春の登山シーズンに当たる5月に登頂した人の数が今年、史上最高の807人に上った。

ネパール、中国両当局によると、ルートは南のネパール側から563人、北のチベット側から244人が頂上に到達した。

今年のエベレストは異例の好天候で、非常に多数の登山者が登頂することができた。

ヒマラヤ登山に関する記録をまとめた「ヒマラヤン・データベース(Himalayan Database)」によると、これまでの過去最高記録は2013年の665人だった。

参考リンク集(他隊の活動記録)




アドベンチャーガイズ隊参加の福永活也氏のtwitter
https://twitter.com/fukunagakatsuya

DACセブンサミットクラブ
https://www.instagram.com/dac7summits/

中山岳史氏のツイッター
https://twitter.com/porozou

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最終更新:2018年12月22日 19:50
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