スポンサーであるニトリの社長である似鳥昭雄氏にも突っ込まれているのが、登頂を真面目に考えているとは思えない無謀なスケジュールである。
近年8000m峰を登頂する場合は
- 雪崩やセラック崩壊の危険の大きい下部キャンプ間(エベレストならアイスフォール帯)の往復を減らす為、事前に危険が少ない6000m峰に登頂。山頂付近でハイキャンプを張り一次馴化。
- その後C1,C2,C3と荷揚げを繰り返しながら二次馴化。C3での宿泊で馴化を補強し最終段階とする。
- いったんBCに戻り体力を回復した後すぐにサミットプッシュ
というプロセスを取る事が多い。5000mより上での滞在は計4週間、6500m~7400mの宿泊は計8~9日とし、これを高度馴化短期切り上げ方式と呼ぶ。
この通りのスケジュールをこなすと登頂予定日の2ヶ月程度前にはネパール入りすることが必要になるのが普通であるが、栗城隊のスケジュールは似鳥社長のアドバイスにも関わらず次のようなものであった。
- 2011年春のシシャパンマ遠征
- 2011年秋のエベレスト遠征
- 2012年春のシシャパンマ遠征
- 2012年秋のエベレスト遠征
参考までに2012年の春にヒマラヤ入りした登山家のスケジュールで確認可能なものは
- ウェリ・シュテック(エベレスト)
- 4月5日カトマンズ入り ロブチェピークで一次馴化
- 5月18日登頂
- 石川直樹(ローツェ)
- 3月30日カトマンズ入り ロブチェピークで一次馴化
- 5月下旬~6月上旬登頂予定(ブライス隊長の指示によりアタック中止)
- 竹内洋岳(ダウラギリ)
- 3月31日カトマンズ入り アイランドピークで一次馴化
- 5月20日前後登頂予定(25日登頂)
- 山下健夫(エベレスト)
- 3月26日カトマンズ入り メラピークで一次馴化
- 5月19日前後登頂予定 (19日にアタック、敗退)
- 大山光一(エベレスト)
- 4月13日カトマンズ入り アイランドピークで一次馴化
- 5月23日前後登頂予定(25日登頂)(大山氏の登山計画書)
なお、2011年9月8日放送に放送された「
カンブリア宮殿」での似鳥昭雄氏とのやりとりは以下の通り
似鳥 「何月にやるの?エベレスト」
栗城 「エベレスト登頂はですね、10月の上旬になりますので」
似鳥 「あーもう、すぐ行ったほうがいいよ、あー」 (栗城が話すのを手でけん制)
栗城 「8月の二十何日から・・・」
似鳥 「もう、早く行かないと駄目よ、行ってあっちで暮らしなさいって」
栗城 「分かりました…」
似鳥 「もう日本に帰ってくるんじゃないって、駄目だって」
ちなみに他の登山家が一次馴化のため6000m峰に登っている頃何をしているかというと・・・
BRIDGE 2011 April
登山家 栗城史多さん 講演 『NO LIMIT 自分を超える方法 " 僕は今、生きている。"』
主催者:BRIDGE 2011実行委員会 / eventforce
開催日時:2011/04/21(木) 18:00 〜 20:15 (本日開催)
明後日、いよいよ出発です。明日は、金沢で保険屋さんに向けて日帰り講演。前日までやることが…最高です。
一方2016年のアンナプルナ遠征では4月10日に日本を出発と比較的マシなスケジュールかと思われたが、プレモンスーンの8000m峰登山では通常登頂予定日が設定される5月中旬に講演会の予定を入れていたことが遠征中に判明した。主催者が「講演会が決まった」とWEB上にupしたのが4月下旬のことであり、遠征中にこの仕事を受ける判断をした可能性がある。
後の釈明によれば講演会を延期することも覚悟の上で1週間延長してのギリギリの帰国とのことだが、それだと当初の予定では日本出国から帰国までの間に30日も確保していないということになる。
考えすぎです。。14日に帰国し15日に講演がありましたが、そもそも帰国の予定が14日帰国した「1週間前」です。@NJDL00pTho0KDCf: 最初から講演会の日にちが決まっていたということは、それに合わせて山に行ったわけで最初から昇る気持ちがないという事になります、、
2018年春のエベレスト遠征では4月17日に日本を出発、素人スタッフや栗城自身の体調不良もありBC入りは4月27日となった。事前に6000m峰で順応を行っているが、いったん日本に帰っており、短期的な効果が切れたころのBC入りである。ローツェも併せた登頂スケジュールとなれば時間の余裕がないスケジュールなのは言うまでもない。
最終更新:2018年05月30日 15:38