シニアデビューからバンクーバー五輪まで


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■浅田真央の4年間
2006-07 トリノ五輪メダリストの荒川、スル、コーエンの事実上引退によって
      新世代としてスタートするも、初戦のスケートアメリカで安藤とマイズナーに完敗。
      実際にはTESでさえマイアーにも負けていたが謎のPCSでどうにか3位になり、
      ファイナルへの可能性が残された。続くNHK杯では地元八百長採点によって
      当時の世界最高得点を爆ageでマーク。全日本では爆ageで初優勝。
      これにより勘違いし始め新年の抱負で世界選手権で「220点、」などと大法螺を吹く。
      世界選手権ではSPのコンボで要素抜けを犯し最終グループ落ちが確実な状況だったが、
      謎のシーズン最高PCSテンコ盛り得点でどうにか最終グループに残ることが出来た。
      これによりSPでは中野が7位となり被害者となる。
      フリーのトリプルアクセルでは明らかなツーフットだったにも関わらず演技途中で
      ガッツポーズまでやらかし、演技直後には泣きべそをかく。このあとマイズナーと安藤が
      残っていたが、優勝を確信したかのような振る舞い。最終滑走の安藤がノーミス演技
      によって優勝を浚われると便所に篭る。世界選手権後、「4回転ループ」宣言。

2007-08 ルッツとフリップのエッジエラー厳格化がスタート。世界女王安藤、前世界女王マイズナー
      などはエッジエラー対策を模索し前半低迷。浅田はエッジエラー上等姿勢を強める。
      ロシア杯でキム・ヨナがシニア転向後、初めてフリーノーミス演技を披露し世界最高得点をマーク。
      事実上のキム・ヨナ時代の幕開け。浅田はフルッツを姑息に利用し、
      世界選手権ではキム・ヨナのSP出遅れによってどうにかタナボタ世界女王へ。
      しかしながらこの優勝は世界選手権での歴代最低得点という低レベルな優勝であった。

2008-09 世界女王として向かえたシーズンだったが、とうとうフリーでルッツを回避する作戦に出る。
      グランプリファイナルではキムの自爆によって再びタナボタ優勝をするも、
      四大陸選手権と世界選手権ではキムにフルボッコ。
      おまけにロシェット、安藤にもボコられとうとう台落ち。
      世界選手権後、お遊び大会である世界国別対抗戦で地元爆ageによって200点超をマーク。
      この大会はジャパンマネーを対象としたお遊び大会であり、ほとんどのフィギュアファンから
      相手にされないものであったが、本人は有頂天となり天狗になる。
2009-10 シーズン開幕と同時に日本で開催されたジャパンオープンでロシェットに完敗、
      GPシリーズの初戦エリック・ボンパール杯ではキムに36点差を付けられ完敗、
      同じくGPシリーズの2戦目ロステレコム杯では安藤に完敗。
      2009世界選手権メダリストの3人との差が明確に現れたが、全日本では八百長採点により
      4連覇を達成。
しかしその後、さすがに焦ったのか急遽他のコーチを中京に呼びつけ、
      3Aの着氷のみに絞って練習。タラソワが早めの現地入りを勧めたにも関わらずギリギリまで特訓。
      本来、本人を見る義理もないはずのたくさんの人の力を借りて、どうにか着氷までこぎつけたらしく、
      再び強気の発言をし始め、試合前から「金メダル」宣言

五輪   そのバンクーバー五輪では、なんとか3Aを着氷しSP2位の好発進。その後の会見でも金メダルがほしい発言。
       迎えたFS、先に演技したキムヨナへの歓声を聞くまいと、浜崎あゆみの曲を必死で聞きながら
       平常心を保とうとしたが、心は点数のことで一杯だったらしく「これを決めれば9点!」と思った3Fでミス。

       そのあとの3Tではなんと基礎点0.44にしかならない1T になってしまうという大失態をおかし、
       金メダルのキムヨナに大差をつけられ銀メダル。
       演技後のインタビューではキムヨナに負けた悔しさから号泣したものの、
       その後の日本マスコミによる「よく頑張った!」コールに再び気を良くして
       共に戦った他選手への賞賛の言葉もジャンプを見てくれたコーチらに対する感謝の言葉を述べるでもなく 
       「四回転に挑戦したい」「新採点になってからジャンプのレベルが下がってる」
       「3AのGOEが低い」「GOE の基準が分からないからジャッジに聞いてみたい」

       「ソチでは自然と金メダルになると思う」とインタビューに答える。←今ココ


■浅田真央 五輪シーズンのプログラムについて■
2009年3月(世界選手権前)
 既に浅田は五輪を見据えていますと前置きつきで
 「らいシーズンはちがうきょくになるので、あたらしいきもちでできるとおもう」と発言。
4月
 来期の曲目は直前まで極秘と報道
6月上旬
 振付の遅れを理由にDOIを欠場。
 タラソワから「この中からどれがいいか考えなさい」と10曲くらいもらいCDを聞きながら
 1日考えたが決められず。数曲流して振付しながらようやく曲決定。
6月下旬
 ロシア合宿中に来期の曲を公表。
 SP…「仮面舞踏会」←昨期のFS曲
 FS…「鐘」
 うるぐすで独占取材曲発表の予定だったが、特集日は石川遼優勝の話題で持ちきり、
 浅田特集はカットされる。結局新聞報道で曲発表され、特集は2週間後に放送された。
7月上旬
 クラシックコンサートで使用曲収録と報道
7月下旬
 「フィギュア名曲コンサート」のリハーサルを見学し天才フルート少女に擦り寄る。
 翌日のコンサート本番では本人不在、母親が指揮者に演奏秒数まで指定し観客に
 物音立てるなど注文付けまくり。
9月中旬
 中京大学オープンカレッジでコーチ不在にも関わらず見学者にFSを披露。
9月26日(真央誕生日翌日)
 応援してくれるファンに感謝を込めて「3A×2記念真央ミュージックボックス」発売。
 曲は仮面舞踏会。音・本体ともお粗末な作りにも関わらず2万円とボッタクリ価格。
10月上旬
 JOでFS初披露。ジャンプのミスもありgdgd演技。
 試合後のインタビュー
 「プログラムはさくシーズンよりもはやいじきからすべりこんでいるので、
 からだになじんできている。」
10月JO後
 仮面舞踏会SPは五輪に照準を合わせた2年計画と報道。
 FSで3A後の振付の意味を聞かれ「わかりません♪」と答える。 
10月14日(エリック開幕前日)
 真央・舞の使用曲を収録したCD&DVDを発売。
10月中旬
 エリック杯でキムヨナと対戦しボロ負け。
 SPを仮面舞踏会からEXのカプリースへ変える案は撤回。
 ロステレコム杯で5位と惨敗。
12月上旬
 GPFはCMとEXのVTRで出場。
12月下旬
 全日本選手権。すかすかプロなのに毎度の爆agePCSによって204という高得点で優勝。
 「おんがえしをしたいとおもいます」と主語をぼかしたコメントをする
1月上旬
 五輪に向けて最後の追い込みをかける世界のトップクラスが不出場の四大陸に照準を合わせる。
 付き合わされる鈴木選手に同情が集まる。
1月中旬
 世界トップクラスが五輪に向けて早めに現地入りするのに、時差に弱い浅田は直前まで国内調整
 することを発表。四大陸のために来日予定のタラソワ・コーチの話題が聞こえない。
1月下旬
 極秘入国したはずなのに日韓記者に囲まれる。念のため韓国食材を食べないと発表したのに焼肉屋へ直行。
 来日して調整指示しているはずのタラソワ・コーチ同伴せず。
 病気で倒れた説を浅田側が発表するもロシア側の発表なし。
 四大陸SP終了後、全国のジャンプ専門家にアドバイスを仰ぐかもという報道
 しかしFSで逆転優勝した事により、再び中京リンクに引きこもり自主練継続中