西子氏について


 このページは、西子(にしこ・ニシコ)という名字でネット検索しても、ご先祖様の手がかりがない人のために、作ったものです。

 もちろん、西子と言う名字だからといって、総ての方が本ページの西子氏に繋がるわけではありません。これは、名字というものの発祥に原因があります。通常、江戸時代の平民は名字を持っていなかったため、名字をつける制度が出来た際各々が、お寺や付近の実力者から名字を貰ったり、新設したり、勝手に名乗ったりしたためです。

本文はここから勝手に転載しています。そこ以外に私が調べた時なかったですし。
オリジナルのURLは清水市がなくなった際に消失しました。

資料


吉原地区 先祖の一人は平安時代の皇族

         西子元氏 清水・高根神社

 清水市郊外の中山間地、吉原地区の高根神社に伝わる約750年前の木版の裏からこのほど、吉原地区に住み着いた先祖の一人、西子元氏の名前が子孫らによって確認され、地元で話題となっている。

 吉原地区は清水市でも最も歴史のある地域の一つで、現在、約120軒が暮らしている。地元の言い伝えによると、吉原地区のルーツは平安時代の村上天皇の第一皇子で、その後、鎌倉時代には西子中丞姫(さいこちゅうじょうのひめ)という人物が家臣2名を伴って住み着いたとされている。

 西子元氏の名前のみつかった高根神社は、西子氏自身が延応元年(1239年)に建立。祠(ほこら)と社(やしろ)の小さな神社だが、地元では鎮守様として長年親しまれて来た。しかし、老朽化が激しいため、昨年秋、改築したところ、西子家を子孫を母にもつ村上周太郎さん(76)らが御神体の木版(縦30・、横9・)のうらに「宝治元年(1247年)9月8日 為家運長久謹請 西子元氏」戸掛れているのを発見した。村上さんの弟で吉原地区の歴史を調べている会社顧問(埼玉県坂戸市在)の村上利三郎さん(71)は、「5~6代前までの先祖はすることはできても過去帳がなかったり、資料などの紛失や処分ナ、それ以前のルーツ探しが困難な多いはず」と話している。

静岡新聞     『ふるさと静清』より     8月15日(水曜日)


 結論から言うと、『よくわからない』というわけですね。私の見た静岡県の姓氏の類が書かれている本にも載ってなかったですし、主だった今川家臣の列にも入ってないですし。また、西子中丞姫って言っても誰だかわからないですしね・・・。

 また、西子=さいこ、と呼ばれていますが、おそらく西子=にしこ、とルーツは同じだと思います(確証はありません)。単に、公文書では訓読みを使う(義経記=ぎけいき、信長公記=しんちょうこうき)と言う使い方の結果、音読みにした可能性もありますし、時代を経るにつれて名字の読みを変えた可能性もあります。また、西子(さいこ)氏にはばかって、西子(にしこ)氏と言うように変えたのかもしれません。まぁ、よくわかりませんが。

 この記事には吉原の歴史を調べている方の名前も載ってますし、神社の名前も載っていますので、参考程度に置いておきます。詳しく知りたい方はご自身でお調べください。

最終更新:2011年01月29日 14:33