HHB1973 デザイナーズノート



ゲームデザイン:山田利通

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●ゲームのテーマについて

 1990年代に日本でシミュレーションウォーゲームが廃れた最大の原因、それはソ連崩壊に伴う冷戦の終結だったのではないかと思うことがあります。
 例えば当時のホビージャパンは精力的に現代戦ジャンルのゲーム作品をローカライズしており、シミュレーションウォーゲームの現代戦ファンというのは、着実に根付いていたのです。
 冷戦の終結は、シミュレーションウォーゲームにとっても、「一つの時代の終わり」だったと言えるのではないでしょうか(もっとも旧ソ連の機密資料が解禁になったことで、特に東部戦線テーマの名作が数多く生まれましたが)
 さて。その冷戦時代を扱う作品のメインテーマ、ヨーロッパにおけるワルシャワ条約軍とNATO軍の戦いのドラマは、だいたい次のようなストーリー構成になっていたはずです。

 ワルシャワ条約軍の奇襲と、圧倒的な機械化の波状攻撃。
 時間稼ぎのため果敢に踏みとどまる少数精鋭のNATO前線部隊。
 防空網による大損害にめげず地上支援を続けるNATO空軍部隊。
 それにも関わらず、次々と突破される戦線。
 核使用のジレンマに陥るNATO首脳。
 しかしそこにアメリカ本土からの増援が続々と到着し・・・。

 イスラエルの核保有疑惑など政治的に微妙な問題もありますが、ここでNATOとアメリカをイスラエル、ワルシャワ条約軍をシリアに置き換えると、そのまま第4次中東戦争のゴラン高原での戦いを扱う作品の宣伝文句になってしまいます。
 実際には、この「NATO vs ワルシャワ条約軍」の戦いのシナリオが、1973年のゴラン高原の戦闘経過を下敷きにして作られているのでしょう。
 1973年のゴラン高原における戦闘を題材にした作品を作ろうと思ったきっかけは、そんなところにあります。
 このゲームでは、最初で最後に炸裂した、ソ連の縦深突破ドクトリンを見ることが出来ます。

 と同時に「ほんとうにそれだけなのか?」という気分もあったのです。
たとえばシリア軍はソ連の軍事ドクトリンを採用しており、しかもWW2のソ連赤軍よろしく、硬直した戦いぶりで大損害を出しています。
 それが「冷戦時のソ連軍=WW2と同様の硬直した人命軽視な軍隊」というイメージを、より強固なものにしてしまったことは否めません。
 でも、これが果たして冷戦時のソ連軍の評価につながるものなのか? という疑問がありました。
 そもそも1973年のシリア軍は急激な兵力拡張のため、軍の指揮官の養成が追いつかなかったのではないか、と思わせる事実があるのです。

 ゲームのシステムは、かつてGDWから発売されていた「White Death」や、その姉妹作「Suez'73」のシステムを参考にしています。
1ターンをいくつかの手番に細分化して同時進行性を高める(スライスオブタイム)というものですが、より重要なのは、この2作品の「違い」です。
 1942年の東部戦線を題材にした「White Death」は1ターンが5日で、これを最大で10に区切って手番を実施できます。
 ところが1973年のスエズ運河付近の戦闘を描いた「Suez'73」は、同じシステム・ゲームスケールでありながら、1ターンが半日です。
つまり戦争のテンポ、というか意思決定の速度において約10倍の差があります。
 このように、通信機器の普及と発達、高度に機械化された戦闘部隊によって飛躍的にスピードの増した1970年代の機甲戦を再現することが、このゲームの最重点課題です。

*

●戦場の地形について

 ゲームの舞台となるゴラン高原は溶岩台地であり、北(マサダ・ヘクス0503あたり)では標高1200m程度、南に行くに従って標高は下って400mほどになります。
 また、高原の西端はヨルダン川谷に面し、標高差400~600mの断崖となっています。
 高原の東端、シリアとの停戦ラインはパープルラインと呼ばれ、対戦車濠が掘られており、両側には両軍の陣地が建設されています。
 北部の停戦ライン沿いは谷になっており、シリア軍は丘を登って攻撃をかけることになります。
 特にヘクス0305付近のくぼ地は「涙の谷」と呼ばれ、多数のシリア軍戦車が撃破された場所です。
 高原内には、「ブースタ」「ヘルモニット」など、いくつかの小さな死火山(テル)があり、砲兵観測拠点や火力陣地として利用価値がありました。
 史実でも、こうした死火山の支配権を巡って小競り合いが行われています。
ゴラン高原内の道路のうち、南北に通るものは多くがイスラエル軍の建設した軍用道路で、予備隊や砲兵の機動や陣地転換に用いられます。
 こうした道路は、シナイ半島にも建設されています。イスラエルは1967年に占領して以来、6年をかけて入念に陣地化しているのです。

●基幹ユニットについて


 両軍とも基幹ユニットは基本的に旅団です。司令部のほか各種支援部隊を含んでおり、所属する機械化歩兵大隊や(戦車ユニットになれなかった)予備の戦車大隊が含まれていたりいなかったりします。
 ただし、シリア軍の第一梯団を構成するユニットは、半個旅団という扱いです。非機械化ユニット扱いになっていますが、実際には機械化歩兵部隊です。
 師団から多数の戦車・突撃砲・工兵車輌が割り当てられており、2ユニット合わせて1個旅団として運用すれば2打撃力になる火力担当部隊でもあります。
 これらの部隊は下車突撃によって突破口を開いた後、その突破口を維持する任務を帯びていたため「徒歩で移動するユニット」として扱っています。
いくつかの特殊部隊、およびイスラエルの第1歩兵「ゴラニ」旅団所属部隊は大隊規模です・・・まあ、精鋭部隊ということで。

●戦車ユニットについて


 戦車ユニットは、特定の規模の戦車部隊を表していません。
 シリア軍の場合20台~100台、イスラエル軍の場合は1台(!)~30台程度の戦車を表します。
 戦車ユニットは基幹ユニット以上に抽象的で、強いて言えば所属師団や旅団の「戦車をユニットという形で運用できる能力」を表しています。
 この点、個々の戦車ユニットの打撃力が高いシリア軍よりも、所属部隊ごとの戦車ユニット数の多いイスラエル軍のほうが圧倒的に優れている、と考えてください。

●移動について


 基幹ユニットが通常移動で1ヘクスしか移動できないのは、これらの部隊に装備されている兵員輸送車が必ずしも完全装軌式ではないことが理由です。
 イスラエル軍の基幹ユニットは支援部隊はもとより機械化歩兵も大部分がM3ハーフトラックで輸送されていましたし、シリア軍も装輪式車輌が主力です。
 戦車ユニットがパープルラインを越えた際にそれ以上移動できないのは、対戦車濠の効果です。
 同様に、陣地ヘックスには鉄条網や道路封鎖があるため、道路移動での通過を妨げます。

●戦闘について


 防御側のダイスの出目で行動終了にされるまで何度でも攻撃できるこのゲームの戦闘は、やや野放図に思えるかも知れません。
 訂正ルールは是非導入してください(特別限定配布版のVer1.1では最初から導入されている)。
 基本的には、戦車など装甲値の高いユニットに連続攻撃とオーバーランを発生しやすくするルールです。
 なお、シリア軍の戦車ユニットの打撃力が斜面を挟んだ攻撃で(上から下を攻める場合でも)「1」になるのは、一種の陰謀ルールです。
 (ちなみにこのゲームで打撃力が1より大きいのは、シリア軍の戦車ユニットだけです)
「ソ連製戦車が砲の仰角と俯角が充分に取れなくて苦戦した事実を再現している」と思ってください。
 モロッコ旅団など打撃力0のユニットが、山や崖や斜面の効果で打撃力が(下から上を攻める場合でも)1になるのも、決してバグではありません。
 これらの部隊はヘルモン山の山岳戦で活躍しています。

●砲兵と爆撃


 この両者は抽象化しました。ユニット数も限られていましたし・・・。
砲撃と爆撃のために消費する時間は、主に地上戦闘部隊との連携調整のために使われる時間です。
 戦闘と併用して確実に敵ユニットの除去を狙う場合は確実に砲撃回数を多くしたいところですが、砲撃のみで敵ユニットを消耗させるだけなら1時間ずつ砲撃を実行するのが効率的です。
 シリア軍にとっては、観測所およびテルのあるヘクスを占領し、優勢な砲兵を活かすことは、このゲームにおける副次的な作戦目標になります。
 イスラエル軍の砲撃はより柔軟性があります・・・同軍の主力野戦砲は射程が長く(6ヘクスある)、ブカタの南西(ヘクス0604)とナファク(0608)付近にいて前線をほぼカヴァーできる上に、多くが自走砲化されており機動性が高いためです。

●再編成と補充


 このゲームの再編成は、戦闘後の再集結、道路行軍後の隊形変換、防御地点や突撃発起点への移動など、ヘクス内移動を含んでいます。
 1ヘクスを4kmとやや大きめにとることで、この動きを抽象化すると共に、移動終了ユニットの表示と解除という機能を持たせています。
 補充は、両軍とも1手番に3回まで行えます。減少した戦力の回復以外に、兵器の修理や弾薬の補給も含みます。
 イスラエル軍はひとたびユニットが揃えばハイスタックして運用できるので、戦力回復がやや容易かと思います。

●勝利条件について
 シリア軍の当面の目標は、「ゴラン高原を突破→イスラエルの打倒」ではなく、あくまで「ゴラン高原の奪回」です。
 実際シリア軍は、その意気込みとは裏腹に、「ゴラン高原占領の時点で国連の停戦決議待ち」という以上の計画を持っていませんでした。
 おそらく「土地の平坦なゴラン高原南部から、ナファクを突破してタップライン道沿いに北上し、ゴラン高原北部の第7機甲旅団の背後を遮断する」というのが、本来の作戦計画ではなかったか、というのがゲームデザイナーの見解です。
 一方、イスラエル軍の戦略目標は、ゴラン高原からシリア軍を駆逐することですが、史実ではシリア軍コマンド部隊がヘルモン山の観測所のヘクスに残っていたため、このゲームの勝利条件に即して言えば、両軍とも戦略目標は達成できなかった、ということになります。
 ユニットの除去によって得られる得点については、イスラエル軍が純粋に人的被害(基幹ユニットのほうが兵員数は多い)の大小に基づくのに対し、シリア軍は、軍事的エリートあるいは政治的エリートである部隊の喪失に、より多くのペナルティを課すものとなっています。


●戦闘序列と両軍の背景について
a.イスラエル軍
イスラエル軍戦闘序列(1973年10月6日 14:35開戦時、戦闘部隊のみ)
北部軍(司令官:イツハク・ホフィ少将)
 第36機械化師団(長:ラファエル・エイタン准将)
  第188「バラク」機甲旅団(長:イツハク・ベン=ショハム大佐)
   第53戦車大隊
   第74戦車大隊(第7機甲旅団指揮下へ)
   第71機械化大隊
  第7機甲旅団(長:アヴィグドル・ベン=ガル大佐)
   第77戦車大隊
   第82戦車大隊(第188機甲旅団指揮下へ)
   第75機械化大隊
  第820旅団(長:ツビ・バラザニ大佐)
   第13歩兵大隊(第1「ゴラニ」歩兵旅団より派出)
   第50空挺大隊
   第902歩兵大隊

 イスラエル軍の編成は旅団レベルで動員・兵站・支援などの業務を行いますが、作戦級レベルでの基本戦闘単位は(どう見ても)大隊です。
 第188「バラク(電光)」機甲旅団はゴラン高原に常駐の現役部隊です。平時は2個大隊で編成され、ゴラン高原北部の守備を第74戦車大隊、南部を第53戦車大隊が担当していました。
 70台ほどの戦車を前線の拠点に分散配備していたため、第一線の陣地帯でシリア軍の進撃を遅滞させたものの、開戦2日目までには、ほぼ全滅しています。
この他、第71機械化旅団と予備役を以って充てる戦車大隊(第39? 本ゲームでは増援の戦車ユニットとして登場)が予備となっており、開戦時に配属予定でしたが、その前に旅団が壊滅してしてしまいました。
 第7機甲旅団はイスラエル南部のネゲヴ砂漠に駐留していた精鋭部隊で、イスラエル全軍の戦車教導隊でもありました。
 同旅団は、9月27日にゴラン高原への派遣が決定され、まず先遣隊として第77戦車大隊がゴラン高原北部に展開します。
 第82戦車大隊は、旅団基幹と共に10月6日午前までにゴラン高原に展開します。当初は師団予備として拘置される予定でしたが、開戦直前に防備の手薄なゴラン高原南部に移動します。
 第820旅団は「謎の部隊」だったのですが(「Vae Victis #39」の付録ゲーム「Yom Kippour '73」では普通の歩兵旅団として登場している)、停戦ラインを警備する「地域旅団(regional brigade)」です。
 当時のゴラン高原は、まだイスラエルによって併合(国内法の適用)がされておらず、同旅団は平時に占領地の軍政も行っていたと考えられます。
第13歩兵大隊は、ゴラニ旅団から派出された部隊であり、停戦ラインの北半分とヘルモン山観測所を警備しています。同様にNAHAL(戦闘青年開拓団)の第50空挺大隊は南半分を警備していました。
 これらの部隊は実際には各陣地ヘクスに分散配置されており(ユニットが置いてあるヘクスに大隊が丸ごと存在してるわけではない)、ちょうど他のゲームのZOCのような効果を陣地ヘクスに与えています。
 第902大隊は、レバノンとの国境(このゲームのマップ北端はレバノンとの国境です)を警備する部隊であったと思われます。ゴラン高原の戦いを描く文献にはあまり登場しない部隊です。
 しかし同大隊所属の中隊長はシリアの空挺部隊がヘルモン山に攻撃をかけた際に、第820旅団司令部宛に状況報告をしています。
NAHAL大隊は当時イスラエル全体で7~8個あり、このうち4個大隊はシナイ半島にありました(CMJ65号の付録ゲーム「Yom Kippur」に、それと思しき警備大隊(0-2-5)が登場してます)。
 ゴラン高原にはもう1~2個大隊のNAHAL部隊がいた可能性があります。
第36機械化師団は10月6日12:00に編成され、この時点で「師団要員」であったラファエル・エイタン准将が正式に師団長に任命されています。

イスラエル軍戦闘序列(1973年10月8日未明頃、戦闘部隊のみ)
北部軍(司令官:イツハク・ホフィ少将)
 第36機械化師団(長:ラファエル・エイタン准将)
  第188「バラク」機甲旅団(司令部壊滅)
   第71機械化大隊(第7機甲旅団指揮下?)
  第7機甲旅団(長:アヴィグドル・ベン=ガル大佐)
   第77戦車大隊
   第82戦車大隊
   第75機械化大隊
  第1「ゴラニ」歩兵旅団(長:アミール・ドロリ大佐)
   第13歩兵大隊
   第12歩兵大隊
   第51歩兵大隊
   第17歩兵大隊
 第210師団(長:ダン・ラナー少将)
  第179機甲旅団(長:ラン・サリグ大佐)
   第96戦車大隊
   第266戦車大隊
  第679機甲旅団(長:ウリ・オル大佐)
   第57戦車大隊
   第93戦車大隊
   第289戦車大隊
 第146師団(長:モシェ・ペレド少将)
  第205機甲旅団(長:ヨッシ・ペレド大佐)
   第61戦車大隊
   第94戦車大隊
   第125戦車大隊
  第670機械化旅団(長:ギデオン・ゴードン大佐)
   第58機械化大隊
   第83機械化大隊
   第268戦車大隊
  第9機甲旅団(長:モルデハイ・ベン=ポラト大佐)
   第?機甲大隊
   第?機甲大隊
   第11機械化大隊
   第278戦車大隊
  第4機械化旅団(長:ヤアコブ・ハダル大佐)
   第?機械化大隊
   第?機械化大隊
   第39戦車大隊

 イスラエル軍の増援ユニットは、ゴラニ旅団以外は予備役部隊となります。
 予備役部隊の部隊番号については、わからない部分が多いです。
 第179機甲旅団は、日本語で読める文献では第17機甲旅団になっているはずです。
同様に、第679、第205、第670、第9、第4は、1980年代に出版された資料で、それぞれ第79、第20、第70、第19、第14になっています。
 第670機械化旅団はシナイ半島で戦っていたことになっているゲーム作品(「CRISIS:SINAI 1973」GMT)もあります。
 予備役旅団の装備戦車については、第205、第670、第9の各旅団は、改良型のシャーマン戦車を使用しています。
 第4機械化旅団はセンチュリオンなのかシャーマンなのか分かりませんでしたが、他のイスラエル軍師団の編成を参考に、シャーマン装備旅団であろうと推測しました。
(しかし第39戦車大隊は、おそらく第188機甲旅団に配属予定のセンチュリオン装備大隊・・・)

b.シリア軍
シリア軍戦闘序列(1973年10月6日 14:35開戦時、戦闘部隊のみ)
シリア陸軍(参謀総長:ユシフ・シャクール中将)
 第7歩兵師団(長:オマル・アブラシュ准将)
  第68機械化歩兵旅団
  第85機械化歩兵旅団
  第121機械化歩兵旅団
  第78機甲旅団
 第9歩兵師団(長:ハサン・トルクマニ大佐)
  第52機械化歩兵旅団
  第53機械化歩兵旅団
  第43機械化歩兵旅団
  第51機甲旅団
 第5歩兵師団(長:アリ・アスラン准将)
  第112機械化歩兵旅団
  第61機械化歩兵旅団
  第132機械化歩兵旅団
  第47機甲旅団
 第1機甲師団(長:タウフィク・ジュンニ大佐)
  第91機甲旅団
  第44機甲旅団
  第2機械化歩兵旅団
 第3機甲師団(長:ムスタファ・シャルバ大佐)
  第65機甲旅団
  第20機甲旅団
  第15機械化歩兵旅団
 アサド機甲旅団(長:リファド・アサド中佐)
  (第70、第81機甲旅団?)
 軍直属
  第82空挺大隊
  第183コマンド大隊
  第?コマンド大隊
 モロッコ軍
  第1歩兵旅団(長:サフライ准将)

 1973年のシリア軍は一般に、ソ連軍のドクトリンに倣い、編成もソ連軍式と言われていますが、謎だらけです。
 シリア陸軍は1967年の戦争の際には兵力8旅団で、師団という編成単位は存在していなかったのですが、1973年には20個旅団以上(資料によってばらつきがあり、31個旅団とする資料もある)に拡大しており、師団が新たに創設されています。
 資料そのものが少ないせいもありますが、それ以上に、このように大規模な増強と改変期にあったことが、1973年のシリア軍の編成を分かりにくいものにしているようです。
それより重要なのは、このように急速に拡大・改編する軍を担うべき将校の養成が、おそらくまったく追いついていなかったのではないか、ということです。
 例えば戦闘に参加した5個師団のうち大佐が指揮する師団が3個も存在しています(モロッコの旅団長より階級が下!)。経験豊富な参謀将校も不足していたはずです。
これこそが1973年10月の戦闘において、シリア軍の攻勢を柔軟性に欠けるものにした要因の一つだったかも知れません。
 北部での攻勢を担当する第7歩兵師団のうち、第68機械化歩兵旅団はシーア派の反乱が起こって一時行動不能になっています。
 第68機械化歩兵旅団の部隊を構成するユニットの装甲値を低くしてある理由です。
 一方、助攻担当の第9歩兵師団に所属する第52、第53機械化歩兵旅団は、単純に装甲車輌の充足率が低いために装甲値が低くなっています。
 ゴラン高原南部のラフィド開豁地で主攻を担う第5歩兵師団は、2つのT55戦車ユニットを持っています。
 この師団は装甲車輌の充足率が完全な上に、1970年10月にヨルダンと戦闘した際にも唯一師団規模で参戦しています。
 つまり1973年10月の段階で「シリア唯一の実戦経験のある師団」であり、これが他の2つの歩兵師団より強力になっている理由です。
 第1と第3の2つの機甲師団は、予備部隊であり、戦況の進展に応じて、いずれか一方が戦果拡張のために投入予定でした。
 史実では、第5歩兵師団が突破したフスニヤ=ラフィド間の正面に投入され、T62を装備した第91旅団がブノッヤアコブ橋に迫っています。
 ハフェズ・アル=アサド大統領の実弟・リファド・アサド中佐の指揮する「アサド旅団」「アサド共和国防衛隊」は「第70、81両機甲旅団を基幹に編成」としている資料があります。
 シリアにあとどのくらい機甲旅団があるのか謎ですが、ゲームではそれらもひっくるめて、「アサド旅団」をT62戦車ユニット2個を含む「超旅団」扱いにしています。

参考文献
「第四次中東戦争 シナイ正面の戦い」(原書房 高井三郎,1981)
「ゴランの激闘 第四次中東戦争」(原書房 高井三郎,1982)
「砂漠の戦車戦(上)(下)」(原書房 アブラハム・アダン著/滝川義人・神谷壽浩共訳,1991)
「図解 中東戦争」(原書房 ハイム・ヘルツォーク著/滝川義人訳,1985)
「第四次中東戦争全史」(並木書房 アブラハム・ラビノビッチ著/滝川義人訳,2008)
「Duel for the Golan:The 100-Hour Battle That Saved Israel」(Jerrold S. Asher/Eric Hammel)
参考にした雑誌(いずれも付録ゲーム付)
「Vae Victis #39」
「Strategy & Tactics No168」
「コマンドマガジン日本語版 No65」
参考ゲーム(雑誌付録ゲームは除く)
「CRISIS:SINAI 1973」(GMT)
「SUEZ'73」(GDW)

最終更新:2010年12月19日 23:10
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