723 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/02/21(月) 23:45:24.56 ID:zIAYRDsmP [3/4]

「……あたし、いまからちょっと行くトコあるから」

 そう行って、あたしは兄貴を残して部屋を出た。
 向かうところは決まっている。アメリカに来てから幾度となくかよった場所だ。
 心は決まった。あのバカ。あたしの気持ちも知らずに、勝手なことばっかり言って――!
 なーにが寂しいよ。な〜〜にが死ぬかもしれないよ。大げさだっての。

 ――ほんっとに、バカ…

 そんなやつの言葉で腹が決まってしまったあたしもあたしかもだケド。
 さっきまでの気だるい感じはない。むしろ、こっちに来てから一番足が軽く感じる。
 足が前へ進む。今にも駆け出してしまいそうなほどに。
 自分が好きなことを目一杯出来た。それが一番大きいんだろうと思う。
 あいつと過ごす時間。それがこれほど大切で、あたしの活力になってるなんて、思わなかった。
 それに……あいつと話して、思い出せたこともあった。なんでこんな大切なことを忘れてたんだろう。
 あたしをあたしたらしめているもの。それを忘れていた。
 あたしはかつてあいつに言った。表のあたしと裏のあたし、両方があってのあたしなのだと。
 そう、あたしはいつだって全部を担いで――あいつに少しだけ、支えてもらいながら――ここまできたのだ。
 捨てる必要なんてなかった。切り離す必要なんてなかったんだ。
 今ならわかる。自分が、いかにバカなことをしていたのか。あたしに力をくれていたものがなんだったのか。
 お母さんのカレーが食べたい。お父さんの声が聞きたい。あやせや加奈子の顔が見たい。黒猫や沙織と秋葉をまわりたい。目一杯エロゲをしながら可愛い妹ちゃんたちを愛でたい!
 そしてなにより――あいつの傍にいたいのだ。あたしに誰よりも力をくれるあいつの傍に。
 けれどその前に、けじめは、つけないといけない。


『コーチ』
『ん?キリノ?どうしたんだ、今日は休んでろといったはずだが』

 コーチがこっち見やる。厳しい人だったが、色々お世話になった。これから言うべきことが少しだけ心苦しい。
 それでもあたしは決めたから。だからそれを伝えないといけない。

『お話があります』
『話? ……わかった、聞こう。今すぐのほうがいいかね?』

 あたしの真剣な表情に気付いてくれたのか、コーチは思ったよりすんなりと話を聞いてくれるようだった。

『いえ、お時間があるときで構いません。あと、それとは別に、一つお願いがあります』
『……言ってみたまえ』

 おそらく、あたしは凄く無謀なことをしようとしているんだろう。
 でも、これだけはやっておきたかったのだ。それがどういう結果を生もうとも。

『リアと、勝負をさせてください。1対1で』
『リアと? ……それは今、キリノにとって必要なことなのかね?』
『はい』

 そう、これこそがあたしにとってのけじめ。
 ルームメイトで、あたしにとっては妹も同然の子で、そして多分、世界で一番早いであろう小学生。
 リアとの真剣勝負。これだけは、どうしてもやっておきたかった。

 コーチは少しだけ考えるように目を瞑って、そしてグラウンドの向こうに向かって叫んだ

『リア! トレーニングは一時中断だ! こっちに来い!』
『ハイ!』

 遠くからハキハキとした声が聞こえたかと思うとタタタタとリアが走ってくる。

『あ! キリノ! なんでここにいるの? 帰ったんじゃなかったの? 体は大丈夫なの?』
『うん、大丈夫。心配した?』
『ううん! 全然!』
『こ、このガキ……』

 うん、そうだった。リアはこういう子だったよね。さっきまで兄貴といたせいですっかり忘れてた。

『リア、今から100m走をする。キリノと二人でだ。いけるか?』
『え? キリノと?』
『そうだ』

 リアは訳がわからないといった顔をしていた。
 それはそうかもね。急にこんなこと言われたら、あたしもそういう反応しそうだし。
 リアが不思議そうな顔をしてこっちをみた。

『キリノ?』
『うん。お願いリア、あたしと、1対1の、真剣勝負をして欲しいの』
『ふーん。キリノじゃリアに勝てないよ? それでもやるの?』
『やる』
『へぇー…うん! いいよ、やろうキリノ!』

 リアのその言葉で、あたし達の勝負は決まった。
 軽くウォーミングアップをすませ、体調を計る。
 さっきも思ってた通り、今までに無く体が軽い。これなら、いける――!

『準備はいいか?』
『はい!』
『うん!』

 コーチの声にあたしとリアは並んでスタートの構えをとる。
 適度に力を抜きつつ、でも気を緩めずに。力を足に溜め込む。爆発させるその一瞬のために。
 チラリと隣を見れば、楽しそうに、けれどどこか獲物を狩る獰猛な獣のような目をしたリアと目があった。

――負けないよ?
――あたしだって!

 スッとコーチの腕が上がる。そして――

バンッ!

 飛び出したのはほぼ同時。スタートは間違いなく最高の形で取れた、なのに。
 一歩、二歩、三歩、四歩。たった、たったそれだけの間で差が開く。
 どこまでも恵まれたバネ。恐ろしいまでの加速力。初めてこれと相対したとき、これが世界かと絶望した。
 届かない才能。手を伸ばしたところで絶対に手に入らない神に与えられた絶対的なモノ。

 ――それがどうした!!

 少し前までの、さっきの兄貴に会うまでのあたしなら、口では、心では負けるものかと思ってても、深いところで諦めていた。
 そして勘違いした。何かを捨てればいいのだと。大事なものを捨てて、それ一つだけをかかえていけばいいのだと。
 決意と責任だけが先走って、大切なことを忘れていた。
 けど今は違う。何かを捨てれば確かに軽くなるかもしれない。空を飛ぶように、速くなるかもしれない。
 だけどそれはあたしじゃない。あたしはいつだって、これまでの自分を全部背負って、担いで、地に足をつけてここまできた!
 それこそが、あたし、高坂桐乃だ。もうあたしは、あたしを見失わない!!

 お父さんとお母さんの顔が頭をよぎる。

 グンッと前に体が出る

 あやせの、加奈子の、黒猫と沙織の顔が次々とあたしの頭を駆け巡る

 足は力強く地を蹴ってあたしを前へと推し進めていく

 『おまえはもう、頑張らなくてもいい。凄くなくてもいい。俺のことが嫌いでもいい。周りの目なんか気にすんなって。
  こんなに一生懸命やってるおまえに、文句を垂れるようなやつがいたら、俺がぶっ飛ばしてやるからさ』

 そして、あの――なバカの顔が、声が、あたしの背中を押してくれる―!

 離れていた背中が近くなる。距離はもうそれほど残ってない。でも…!
 これが、あたしの出せる全力だ――!

 そして……


『どうしても帰るの?キリノ』
『うん。もう決めたから』

 悔しそうに、それでいて少しだけ寂しそうにつぶやくリアは可愛かった。それこそ抱きしめたいぐらいに。

『そっかー。ちぇ〜、ずるいよキリノ。勝ち逃げなんてさ〜』
『何言ってんのよ。それまであたしをギタギタにしてくれてたくせに』
『えっへへへ。でもさ、なんでキリノはあの時あんなに速かったの? あたしは絶対に負けるつもり無かったのに』

 その質問にドキッとなる。正直に言うのは少しだけ恥ずかしいし。

『え? それは……内緒。でも、そうね。もし機会があるならあたしの家においでよ』
『キリノの?』
『うん。そしたら教えてあげるわよ。あたしが速くなった秘密。それに、アンタには見てほしいものもあるしね』
『そっか! じゃあ、絶対に桐乃の家にいくね!』
『うん、待ってるから。そん時は連絡よこしなさいよ』
『うん! じゃあねキリノ!今度は絶対リベンジするからね!』

 そう言葉を交わしてあたし達は別れた。再会の約束をして。


 日本に帰る日がきた。
 短い間だったとはいえなんだか感慨深いよね。
 トランクを横に置いて待ってる間に兄貴が手続きを済ませて戻ってくる。

「待たせた」
「ほんとよ。何をそんなに手間取ってるんだか」
「しかたねえだろ。思ったより人が多かったんだよ」

 そういって不機嫌そうに顔を歪める兄貴。こんなやり取りも今は楽しい。絶対に言ってやんないけど

「さて、いくか。そんなに時間があるわけじゃねえしな」
「そだね。……ねえ兄貴」
「ん?」
「……やっぱりなんでもない」
「んだよ。言いたいことがあるんなら言えよ」
「だから何でもないって言ってんじゃん!バカ!」
「あーへいへい、俺が悪かったよ。ったく」

 言葉にして伝えるのは凄く恥ずかしいけど……迎えに来てくれて、ありがとね。兄貴。
 また、よろしくね。

End



252 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2011/04/27(水) 20:42:47.78 ID:OQHwzj4Z0 [2/6]




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最終更新:2011年05月01日 22:32