エベレスト(5回目)






計画発表

3月中旬に最初の遠征で敗退したチベット側メスナールート(グレートクーロワール)の再挑戦を発表した。

今年僕が登るルートは僕が最も登りたかったルートを登ります。それは中国側のメスナールートです

そして今回は講演会とスポンサー募集に留まらずクラウドファンディングにより不特定多数からの遠征費用の募集も開始。

インターネット生中継プロジェクトの費用について

支援金はエベレストからのインターネット生中継のための費用に、全て充てさせていただきます。

エベレストでは生中継するための電波が飛んでいるわけではありません。自ら通信インフラを整え、衛星通信機器を使って生中継を行います。今回の中継は、標高6000mのベースキャンプ*1、標高7000m地点*2から超望遠カメラを使って栗城の姿を追い、さらに栗城カメラからの中継映像も交えて、合計3地点からの同時中継を行います。


相変わらず多額の資金の捻出に四苦八苦していることをアピールしているのだが、その割には登山者の多い春シーズンにエベレストを7500mまで登るトレーニングをするというかなり贅沢な計画も併せて公表した。かつてスポンサーであったニトリの似鳥昭雄社長が口煩く言っていたことではあるのだが…。

2015年5月10日日本を出発→エベレスト(中国側)7500m地点まで登り、機材のテストと訓練を行います。


計画の変更

ところが、この予定は早くも変更を余儀なくされる。4月25日にネパールで大地震が発生しネパール全域、インド北部からバングラディシュに至るまで広範囲で被害が発生した。 報道は少なかったもののチベットでも被害が発生し、中国政府は春シーズンのエベレストの登山活動の中止と秋シーズンの入山を許可しない方針を決定した。
ところがこれに関して栗城は何の説明もせず、ネパール側一般ルートに変更。SPCC(登山ルートを管理するシェルパ隊)は栗城一人のためにアイスフォール帯のルート工作を行うことが明らかになった*3

Chairman Ang Dorjee Sherpa of Sagarmatha Pollution Control Committee, which has been assigned to handle icefall doctors and garbage in the Everest region by the government, confirmed that SPCC deployed a team of icefall doctors at the base camp to fix a climbing route after world climbers planned to summit different peaks, including Mt Everest, in autumn.
(中略)
Tika Ram Gurung, Managing Director at Bochi-Bochi Treks, said a team of six Japanese mountaineers would embark on a trek to Mt Everest region by the end of this month while two of them – Nobukazu Kuriki and Masaru Kadotani – would attempt a rare autumn summit of the world’’s highest peak.
8月18日 現地紙ヒマラヤンタイムス http://thehimalayantimes.com/nepal/icefall-doctors-at-base-camp-to-fix-everest-route-for-autumn/
(なお、この記事によれば栗城のほかにカメラマンの門谷も登山者として登録されているようである)

 当然のことながら大人数のアイスフォールドクターを動員して架橋・ルート工作を行ったルートを通る時点で「単独」は成立しないが、相変わらず『秋季エベレスト単独・無酸素登山と「冒険の共有」生中継に向けてネパールに向かいます。』と単独・無酸素の看板は下ろしていない。ネパール側でもアイスフォールを通らずに単独で登ることはできるのだが、やる気はないようだ*4

また、地震後にクラウドファンディングでお金を集めながら、8月上旬に現地で高所順応訓練をすると説明したが、
この事前訓練の約束は何の説明もなく反故にされ、日本出発は8月21日と遅くなった。

本来の計画では5月10日からヒマラヤの訓練の予定でしたが、訓練は延期をして8月上旬に行います。
8月21日から秋季エベレスト単独無酸素に向かいます!!そして、生中継冒険の共有を行い、9月中旬から下旬の間に登頂をします。
2015年8月14日 公式ブログ


ロブチェピークからの中継

これまでろくに他の山で順応登山をしたことが無かったが、今回は珍しくロブチェピーク(6119m)の山頂で2泊するという順応を行い、山頂から生中継を行うことになった。 順応登山自体は天候不順の中完遂したが、肝心の中継は山頂のものではなく、ロブチェ・ハイキャンプ(約5300m)から望遠カメラで栗城と判断できない黒い粒を映しただけのもので、とても「山頂からの中継」と呼べるものではなかった。 ニコニコ生放送での視聴者は前回のブロードピークBCからの中継より微増したものの、最大時でも100人程度に留まった。

通常ならば少なくとも7000mにタッチしなければ高所順応は完了しないが、この時点の予定では、高所順応はこれで終了で、この後すぐにベースキャンプからワンプッシュで登頂するという無茶苦茶な計画となっている。過去に栗城自身が、6000mまでの順応では『無酸素での登頂は不可能』だと説明しているにも関わらずである。
ロブチェピーク(6119m)を登り山頂付近で泊まって高所順応、その後ベースキャンプ(5300m)へ 。
そこから天候の周期を見て一気にキャンプ2(6400m )、キャンプ3(7000m)、キャンプ4(7900m )に上がり、9月15日に山頂に向かう予定です。

アタック開始延期

栗城がベースキャンプ(BC)に到着する前からSPCC(シェルパ)がルート工作を行い、9月9日に第1キャンプ(C1)まで到達したものの、悪天候続きで作業が捗らないためか栗城はBCでの待機が続く。そして栗城はこの事には触れずに、12日のブログエントリで「プジャ(お祈り)の日程」を理由にアタック開始を延期すると発表した。

9月9日 BBCニュース 
Despite this, the "icefall doctors" managed to reach Camp One this week.
アイスフォールドクターは今週なんとか第1キャンプに到着することができた。
"Snow is still piling up in many areas because avalanches have continued in the region probably because the mountain slopes overlooking the icefall have been shaken by the quake," he said.
「おそらくアイスフォールを見下ろす斜面が地震(余震)で揺らされて、雪崩が続いているため、雪が多くの場所で今も積み重なり続けています」と、チームリーダーのアン・カミ・シェルパは話した。
The Sherpas say they have finished repairing the route between Base Camp and Camp One, while only a small stretch to Camp Two remains to be done.
シェルパたちはベースキャンプと第1キャンプの間のルートを修復し終わり、第2キャンプまでの小さな工作のみが残されている。

9月12日 現地紙ヒマラヤンタイムスの報道
Climbing activities in the Mt Everest and the Mt Manaslu regions have been affected after the base camps and surrounding areas witnessed incessant rain and snowfall for the last three days.
エベレストやマナスル山域ではベースキャンプ周辺に3日間降り続く雨や雪によって登山活動に影響が出ている。
“The Mt Everest base camp has already recorded around two feet of fresh snow and it’s snowing still,” Ang Kami Sherpa, a leading icefall doctor at Everest base camp, told THT Online over phone from EBC this afternoon. “The base camp area has been witnessing continuous snowfall since Thursday,” he added.
アイスフォールドクターのアン・カミ・シェルパはBCからの電話で『エベレストBCには既に2フィート(60㎝)の新雪が積もり、まだ降りつづけている。木曜日からずっと降雪が見られる』と語った。

(※)春のネパール大地震の後に初めて登山隊がエベレストに登るということで、海外でもいくらか報道された。海外ニュースでの扱い節を参照。

9月12日 栗城公式ブログ
今日はプジャという登山の安全祈願の儀式の予定でしたが、チベット仏教のお坊さんから急遽「今日ではなく15日の方が良い」という連絡があり、プジャは15日に執り行われる事になりました。
この登山の安全祈願を行わないと山に入るのは良くないと思い、15日のプジャを終えてから16日スタートの予定で、順調に進めば20日登頂予定です。

なお、この時点でも天気予報はかなり悪く、楽観が許される状況ではない

13日から連日の降雪で、ほとんど好天が望めないことがわかる(クリックで拡大)


すぐのBC帰還と再アタック

当初の登頂予定日を過ぎた16日に出発するものの、ルート工作完了後も降り続いた雪のためか、予定していたC2まで到着できず、C1(6000m)までに10時間もかかって夕方の到着となってしまう。そして何故か日没後にもかかわらずBCまで引き返し、数日の停滞となる。

20日に再出発し、このときはC2まで到着するものの、やはり10時間近い長時間行動となる。 毎度のパターンであるが、こうした長時間行動の翌日は大抵動けず、多量の降雪と表層雪崩への危険もあって3日間の停滞を余儀なくされる。当然のことながら、この時点で事前に宣伝していたような速攻登山は全くできていない。3日の停滞の後C3に上がるが、7000mにもやや及ばない地点であった。なお、行動終了の1時間近く前に、公開していたGPSの座標はプロットされなくなり、C3の大体の場所が明らかになるのは夜間に一瞬スイッチが入った時である。

再び隘路へ迷走。そして当然の敗退

 そしてC3からローツェフェイスへ向かうかと思いきや、なんと再び2011年に「カラスにデポを荒らされ」敗退した場所であるサウスコルへ直接向かう斜面(2chでの通称:カラス谷)へ進む。 下から見た場合ジェネバスパーの左側を通るルートは英国隊が初登頂する前にスイス隊が切り開いたものの、落石によりシェルパが死亡したことで、無用なリスクがあるとして放棄され、それ以降使用されていないルートである。 栗城はこのさらに斜面の中央部を登り、7550m地点にテントを張ってここを最終キャンプと発表した。通常最終キャンプ地とするサウスコルより400mも低い地点であり、著しく不適な場所であることは言うまでもない。
そしてここでさらに一日停滞する。 事前に言っていた「チャンスを見て一気に登る」が全くできていないことはもちろん、高所では無駄に停滞しないというセオリーを完全に無視した行動である。
これには登山界で栗城と唯一親しい野口健も苦言を呈していた。

野口健 @kennoguchi0821
エベレストに栗城さんがアタック中。通常の最終キャンプよりも低い地点から一気に山頂を目指すとのこと。無茶だ。遠すぎる。
仮に登頂できたとしてもその日の内にテントまで戻ってこられないだろう。8000mを超える世界でのビバークはリスク高過ぎる。
一度BCに下り仕切り直しした方がいい。

野口健 @kennoguchi0821
栗城さんがBCを出発してから時間がかかり過ぎ。キャンプ2に3泊、キャンプ3に2泊とのこと。
低酸素による消耗は本人の自覚以上に激しいものがあるはず。食事は1日1食のみ。そして雪も多いこの状況で、
標高差1000m以上を一気に往復できるものだろうか。あまりにもリスクが大き過ぎる。

 そして夜11時過ぎに無謀な最終アタックを開始。繰り返すがこの斜面の先にはサウスコルに積もった雪の堆積が雪庇のようにぶら下がっており、突破はほぼ不可能なルートである(スイス隊はよりジェネバスパー寄りを通過)。 当然のことながら数時間登って7700mを少し超えたところでそれ以上の進行が不可能となり、撤退を開始。一回目のアタックはまたもサウスコルにも到達せず敗退となった。なお本人の弁による撤退理由は深雪のラッセルによる消耗であった。

全力を尽くしましたが、ラッセル(深い雪をかきわけて進むこと)で長い時間が掛かり、このまま進むと生きて戻ることができないと判断して、悔しいですが下山を決めて最終キャンプまで戻ってきました。

この後、7550mのキャンプで音声のみの生中継を行って*5、撤収を開始し、異様に長時間行動して、その日の夜10時にBCに帰還した。 下りの際にGPSが切られていたため、行程は不明だが、7500mを越える高度で激しく消耗し、生きて帰れなくなることも考えたほど疲労しているはずなのに日没後に危険なアイスフォール帯を越えるリスクを冒した理由は不明である。 なお、荷上げしたテント類は最終キャンプに設置したままだったのか、C2辺りまで下ろしてきたのかは不明。


再アタック。再び敗退

敗退の後、数日の休養を経て再アタックを図る。 雪崩やセラックの崩壊を避けるため早朝出発がセオリーであるが、BC~C3の出発時刻は現地時間で8~9時(日本時間11~12時過ぎ)ごろと連日の重役出勤であった。 加えて、C3では強風を理由にまたも2日間の停滞を行い、3年前のエベレストと同様に、高所に必要以上に長時間滞在することとなった。数少ない理解者であり知名度も高い野口健にたしなめられていた記憶も覚めやらぬ中であり、ブログのコメント欄には批判的なコメントが溢れた。なお、7000m付近は5日には、8000mから頂上付近も6日には十分行動可能な天候に収まっている*6

そして、6日に7550mの最終キャンプに到着するも丸一日滞在し、7日の夜にようやく出発した。ブログでは前回の敗退時にこのようなタクティクスをコメントしていたが、実際に実行したのかは7日の日中にGPSが切られていたので不明である。

次に再びC4に着いたら、翌日に空荷(荷物がない状態)で200mほどラッセル(雪をかき分けて進むこと)して道を作ってからC4に戻り、その日の夜に再び山頂に向けてアタックして行きます。

 7日の夜19:15(日本時間22:30)に出発したが、最終キャンプ地からはGPSのマーカーは表示されず、ようやく足跡が現われたのは21:45(日本時間1:00)を過ぎてからだった。 この後再びマーカーは途切れ、次に現れたのはおよそ2時間後の23:35(日本時間2:50)、サウスコル7940m地点であった。 このまま頂上方向へ向かい遠征5度目にしてようやくエベレスト8000m地点に到達したが、2:55(日本時間6:10)に8160mに到達したところで断念し引き返した。 この間、GPSのマーカーは無茶苦茶な軌跡を描き、ローツェ頂上直下に飛んだり、8100m付近で一筆書きの星の形を描くなどの混乱を見せている。

全力を尽くして登ってきました。
しかし強風と深い雪のため、これ以上進むと生きて戻れないと判断しました。
無酸素で登る中、今後さらに強くなる風と最終キャンプに戻るまでのタイムリミットを考えて、
3:35(日本6:50)に悔しいですが8150m付近で下山を決めました。
2015/10/08 07:44(日本時間) http://lineblog.me/kuriki/archives/1042093128.html

(SPOTのGPSログをもとにした説明図。クリックで拡大。ログのギャップの右側がサウスコル、左側が最終キャンプ。ドローン画像は、GPSをドローンで運搬した説にちなんだ冗談、詳しくは次の節。)

 下山時にもサウスコルから最終キャンプ地点まで1時間20分ほどの間マーカーは途切れたため、どのようなラインを通ったのか不明瞭なままであった。 急斜面で一時的に衛星電波の不感状態になったのか、意図的にスイッチを切ったのか不明である。

 この後、最終キャンプに4時間ほど留まったのち、前回同様C2に泊まることも無く不眠不休で行動を続け、22:30(日本時間1:45)にベースキャンプに帰着した。

 なお、例年下山後にはBCからの生中継を行っていたが、今回は行われず、栗城本人が動画に登場する生中継はほとんどゼロという、売りである『共有』の成果は過去最悪レベルの惨状となった。当然クラウドファンディングで出資した支援者の不満が爆発したようで、ブログは凄まじい炎上と削除の応酬に発展した。これに関しては以下のように釈明している。

元々、中継は栗城がエベレストの南峰(8700m)まで登り、プモリ中継キャンプからの見通しが確保できて初めて中継ができます。

しかし今回はそこまで登れず、中継を楽しみに思っていた方に本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。
そして今ままで繋がっていたベースキャンプからの衛星通信が、今年は全く繋がりませんでした。
このためにインタラクティブなやり取りができませんでした。
原因は、使用していた衛星の位置が微妙に変わったこと、通信機材が最新の物で、ある程度衛星との指向性が合わないと通信ができないことが分かりました。


シェルパにGPSを持たせた替え玉登山

アタック時に栗城が公開したGPSが不自然だったため、GPSをシェルパに持たせた替え玉登山説が生まれた。その理由は

  • 栗城に越えられそうにないサウスコル直下の難所を通過したこと
  • そのときに登り下りともSPOT(GPS)がオフにされるという不自然な操作がされたこと
  • サウスコルでログが滅茶苦茶な動きをしたこと
  • その後、かなり消耗しているはずなのに不眠不休の24時間以上の連続行動でBCに下りたこと(これは1回目のアタックも同じ)

しかし、替え玉説にも証拠がなく、さすがにそこまではやらないと考える人が多く、時間が経つにつれ鎮静化し、忘れられていった。
ところが栗城の死後に発売された河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社、2020年)により裏取りがされ、このときシェルパにGPSを持たせた替え玉登山をしていたことがほぼ確定的になった。詳しくは長くなるので別ページ → シェルパを使った替え玉登山


後日談

凍傷

栗城は2度目のアタックで足が凍傷になった、と報告している。

両足が軽度の凍傷になり、時間が経つとジワジワと痛いです。とくに中指が爪が白紫に。
危なかった…

カトマンズに下りてきました。真っ黒のボロボロです。。足の凍傷は軽度ですがイタイタので靴で移動は止めました。もの凄い睡魔が…

カトマンズに着いてまだ疲れはまだ抜けない…。足の指先はバンバンに痛いし…。
でも、色々声をかけてくれる人がいるのは本当に嬉しいです。

  • 凍傷になって約一ヶ月後
もうすぐで完治ですかね。ピリピリ感は取れました。
RT @roadtoriorun: @kurikiyama 両足の凍傷はもう大丈夫ですか?(^-^)

両足の軽度の凍傷もだいぶ良くなり、中指と薬指の爪の変色も色がだいぶ良くなってきました。

帽子

下山後にアップした動画を見ると、最終アタックの際に被っていた帽子と、BC帰還時に被っていた帽子が異なる。
ブログのエントリによれば「風で飛ばされた」とのことだが、グローブならまだしもキャップの予備を持つとは考えにくく、編集の切り貼りによって齟齬が出てきたか、やらせの帰還時映像をやり直して撮ったかのどちらかであろう。いずれにしろ動画の信頼性に大きく傷がつく行為である。

※のちに発売された河野啓『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』(集英社)により裏取りがされ、やらせの帰還映像を撮り直していたことが確定した。

10月5日、強い風は標高8000mあたりだけではなく、僕のいる7000mのテントに吹き下ろしの形でやってきた。
ザーザーと津波のようにスノーシャワーが降り落ちてくる。
テントの中には風は入ってこない。
ただ、ザーと僕のテントのポールを「く」の字に曲げてくる。
嵐の大海原に、小舟で入っているかのようだった。
当然この風でフェイスを登れば、風で煽られスリップして滑落する。

この日の出発はやめたが、風がテントに当たり続けドンドンと小石や氷がテントに当たり、気がつけば僕のテントに小さな穴がいくつか空いていた
僕の寝ているテントの右側は、岩の下で20mは落ちる。
そこに落ちれば6400mのキャンプ2付近まで滑落していくだろう。
テントを固定しているロープが気になり、外に出た瞬間。入り口側のロープが1本風で抜け、テントが浮かび上がった。
とっさにテントに体を半分入れて抑え込む。
目の前で信じられない事が起き、脈が一気に上がり、顔が青ざめる。
風が止む瞬間を待ち、再びロープを固定し直した。
このとき被っていたニット帽が風で飛ばされてしまった。



4分40秒付近から帰還時の映像。C3の時とは違うキャップを被っている。



海外ニュースでの扱い

今回の登山は、春のネパール大地震の後に初めて登山隊がエベレストに登るということで、海外でも報道されてる。(ただし日本ではそれほど報道されておらず、下山後のお笑い記事のような扱い)
栗城はカトマンズで記者会見を行って、海外メディアにアピールしていた。
ベースキャンプから単独で登るという日本での説明とは異なり、海外の記事ではC2(6400m)から単独で挑むつもりだと報道されていた。海外では日本のメディアと違って、単独で登るのが不可能なアイスフォールに「単独で登る」と説明したら間違いなく厳しい突っ込みが入るので、その点は記者会見で誤魔化せなかった模様。

カトマンズの記者会見を受けたAFPの配信記事
栗城さんは、2012年にエベレストに挑戦した際、凍傷のため手の指9本を失った。今回、5人のチームメンバーのサポートを受けるが、キャンプ2からは単独登頂を目指す。

共同通信(海外版)の記事
A Japanese film crew is accompanying Kuriki. Photographer Masaru Kadotani will accompany him until Camp II to capture his attempt on film. Four other Japanese members of the film crew will be camped at the Base Camp.Six Sherpas are also in the team. But from Camp II, Kuriki will be alone, according to Tika Gurung, managing director of Bochi-Bochi Trek, the local agency handling his expedition.
『カメラマンの門谷優はC2まで栗城に同伴する。他の4人の日本人隊員はベースキャンプに留まる。隊には6人のシェルパがいるが、C2から栗城は一人になる意志を示している』と、現地の代理店「ボチボチトレック」社長のティカ・ラム・グルンは話した。

(※)このサポートのシェルパは栗城隊のシェルパ。アイスフォールドクターとは別。

もちろんこれまでの登山ではC2より上でも単独とはいえず、山岳・アウトドア関連の海外サイトでは批判的な記事もみられた。特にエベレストでは2年連続で大量遭難事故が起きており、前年には16人のシェルパが雪崩で死亡する事故が発生したこともあり、「単独無酸素」というエゴを掲げてシェルパを危険に晒していることに対して、婉曲的、直接的な批判があった。

例を挙げると
ディスカバリー・チャンネルのニュースサイト
「日本の登山家が、警告にも関わらずエベレストに挑む(Japanese Climber to Tackle Everest Despite Warnings)」 2015年9月25日
http://news.discovery.com/adventure/japanese-climber-to-tackle-everest-despite-warnings-150925.htm
(抜粋)
Many experts on Everest are calling it unfair to put others in danger to pursue an ambition with the unnecessary risks of climbing solo and without oxygen.
エベレストについての多くの専門家は、単独無酸素で登るという不必要なリスクを掲げながら、野心のために他人に危険を負わせるのはアンフェアだと話している。
The mountains are for everybody,” said Alan Arnette, a mountaineer who runs an Everest news and analysis website out of Fort Collins, Colo. and who was at Base Camp during last spring’s avalanche. “If you want to go up there and risk your life, it’s your business. But it’s not fair to ask others to put their lives at risk for your ambitions ? especially with something so aggressive.”
登山家のアラン・アーネットは言う。あなたが自分の命を危険に晒してそこに行くならば、それは自由だ。しかし自分の野心のために――特にそれが挑戦的なものならば――他人に危険を負わせるのはフェアではない。
he - and many others - believe there is a line, and that athletes probably cross it when their endeavors endanger others. To many, Kuriki’s attempt seems to land past that line, for several reasons:
(心理学者の)フランク・ファーリーや他の多くの人は、一つの線があると信じており、アスリートたちの挑戦が他人を危険にさらすときに、その一線をほぼ確実に越えてしまうと考えている。多くの人にとって、栗城の挑戦は過去にその線に乗り上げてしまっているように見える。
“It adds up to one word: foolhardy,” Farley said.
「つまるところ一つの言葉になる:無謀」 とファーリーは語った。
Everyone in Nepal is anxious to have climbers and trekkers return, Arnette says. But with money and reputations on the line, Sherpas would be hard-pressed to refuse, even if they think it’s foolhardy.
ネパールの誰もが(地震の影響でいなくなった海外の)登山家やトレッカーが戻ってくるのか心配している。しかしその線の上にお金や名声があると、シェルパは、たとえそれが無謀であると思っても、断るのが難しくなるだろう、とアーネットは話す。
“Sherpas are being forced into a position of rescuing someone who has been exceptionally foolhardy, but because of their life occupation and employment, it’s a difficult place to put them,” Farley said.
「シェルパは異常に無謀なことをしてきた誰かを救助する場所にいることを強いられている。しかしシェルパの生涯の仕事と雇用のために、その場所に彼らを配置するのは困難だ」とファーリーは語った。
And even though Kuriki is attempting the most dangerous part of the climb solo, Sherpas will likely try to rescue him if anything goes amiss, Arnette says.
たとえ栗城が最も難しい部分をソロで登ることを試みたとしても、何かミスがあれば、シェルパはおそらく彼を助けることになるだろう、とアーネットは話した。

In 2012, when Kuriki made it to 27,000 feet before calling for help, Sherpas brought him back to Camp 2 and he was airlifted to Kathmandu.
2012年、栗城は27000フィートまで登った後に救助を求めて、シェルパが栗城をC2まで下ろし、ヘリでカトマンズに送られた。

CNNの記事
「エベレスト"再開" 4500ドルで命を懸けてもらえませんか?」
As Mount Everest 'reopens,' would you risk your life for $4,500?  2015年8月28日
http://edition.cnn.com/2015/08/28/asia/nepal-fixing-everest-route/index.html
栗城という日本人が「単独」で登ることを伝えているが、現地人に非常に危険な仕事をさせていることを強調している。
(抜粋)
The specialist team of five Nepalese Sherpas is resetting the route between Everest's Base Camp at 5,970 meters (17,600 feet), across the notorious Khumbu icefall, to Camp 2 at 6,500 meters (21,300 feet), which was swept away in a deadly avalanche set off by the huge tremor.
5人のネパール人シェルパの専門家チームが、悪名高いクーンブ・アイスフォールを通る、エベレストのベースキャンプから第2キャンプまでのルート工作を再開した。
The crack team of route setters earns just $4,500 per season to keep climbers safe, living on the mountain up until November, when the season closes due to extreme cold and strong winds.
この優秀なルート工作隊は、(極度に冷たく強い風によりシーズンが終了する)11月までこの山で生活しながら、登山家を安全に通れるようにすることで1シーズンに1人4500ドル稼ぐ。
The Khumbu icefall -- a steep portion of a glacier shaped like a frozen waterfall -- is one of the most treacherous sections of a route used to summit the 8,850 meter (29,029 feet) mountain, and it's the Sherpas' job to find a safe path across the heavily crevassed Khumbu glacier.
クーンブ・アイスフォール――凍った滝のような形をした氷河の一部――はエベレストの頂上へ向かうルートの最も危険な場所の一つだ。
Even the safest route might break up without warning, so these so-called icefall doctors stay on location until the end of the climbing season to maintain the ropes and ladders.
最も安全なルートですら警告なしに崩壊するので、いわゆるアイスフォールドクターたちは、ロープやハシゴをメンテナンスするために登山シーズンの終わりまでこの場所に滞在する。
For the icefall doctors, the autumn season is business as usual making the route as safe as they can for Kuriki.
アイスフォールドクターにとって、秋の季節は、栗城のためにできる限り安全なルートを作る、いつも通りのビジネスだ。
The Japanese adventurer may be the only expedition on Everest this season
今秋、エベレストに挑むのはこの日本隊のみだ。

(※)同時期に出た別の記事には、1シーズンの報酬はもっと低い2000ドル3500ドルとも書かれている。

ロイター通信の記事
ヒマラヤ登山史の権威であるエリザベス・ホーリーへのインタビュー
(栗城の記者会見にネパール政府関係者が同席していたことに対して)
Elizabeth Hawley, a chronicler of climbing in Nepal, said it showed how desperate the government was to revive the industry that it is promoting this "crazy" man to convince the world it is safe. "They will latch on to anything right now to get people to come back," the U.S.-born Hawley told Reuters.
「その(登山)産業の復興のために、こんな"クレイジー男"を宣伝に使うことで、世界に(ヒマラヤの)安全性を訴えるなんて…政府はどれだけ自暴自棄になっているのでしょうか」と、エリザベス・ホーリーは話した。
「政府は人々に(ヒマラヤに)戻ってきてもらうためには何にでもしがみついてしまうのでしょうね。」


スケジュール


出発時の発表スケジュール


出発時のスケジュールは以下の通り。

詳しい予定は後ほどですが、スケジュールの概要は下記に なります。
今夜カトマンズに到着し、カトマンズで3日間準備をした 後に、ロブチェピーク(6119m)を登り山頂付近で泊 まって高所順応、その後ベースキャンプ(5300m)へ 。
そこから天候の周期を見て一気にキャンプ2(6400m )、キャンプ3(7000m)、キャンプ4(7900m )に上がり、9月15日に山頂に向かう予定です。

これまでさんざ言われながら疎かにしていた事前順応としてロブチェピークへの登山および山頂泊を行うことになっているが、それ以降はC2及びC3での順応⇒BC帰還による体力回復を行わず、ワンプッシュで登頂というかなり荒っぽい行程である。これまで悉く時間切れになっているため短期決戦のようだが、ブロードピークでの成功に味をしめたこともあるようだ。


実際の行程

BC入りまで

8月21日 日本出発
8月22日 カトマンズ着
8月23日 カトマンズ 観光省で記者会見
8月24日 ティストン村 学校に寄付品を届ける
8月25日 カトマンズ 悪天で飛行機飛ばず停滞
8月26日 カトマンズ→ルクラ→ペリチェ(4200m) ヘリで移動
8月27日 ペリチェ 『丘をランニングして体を慣らした』
8月29日 ペリチェ→ロブチェ(4800m)
8月30日 ロブチェ
8月31日 ロブチェ→ロブチェ・ハイキャンプ(5330m)
9月01日 ロブチェ・ハイキャンプ→ロブチェイースト(6119m)
9月02日 ロブチェイースト 生中継を謳っていたが、無線の音声とハイキャンプからの望遠映像のみ
9月03日 ロブチェイースト→ロブチェ
9月04日 ロブチェ→ゴラクシェプ(5150m)
9月05日 ゴラクシェプ カラパタールの丘(5550m)へ調整に向かう
ツイッター怒涛の連投
9月06日 ゴラクシェプ
9月07日 ゴラクシェプ→エベレストBC(5360m) ブログのタイトルから「登頂まであと○○日」の表記が消える

アタックステージ

9月08日 BC 『プモリ・ハイキャンプ設営とBCの基地局を作るためまだ数日かかる』
9月9日 BC 「アイスフォールドクターがC1までのルート工作を完了した」とBBCが報じる
9月10日 BC
9月11日 BC BCでの動画をUP 『少しでも動くと脈が上がるのでゆっくり体を慣らす』
9月12日 BC 『プジャ(安全祈願の儀式)の日程の都合で16日スタート、20日登頂の予定』
とブログで報告
9月13日 BC 日テレ『バンキシャ!』で生中継の予定も電波の不調で録画になる
9月14日 BC プモリ・ハイキャンプ(5500m)の設営・通信チェック(*)
9月15日 BC 当初の登頂予定日
9月16日 BC→C1(6000m)→BC ルートの悪コンディションの為かC1まで10時間近い行動を強いられ時間切れ。
『朝に妙な雲も見たので』荷物を雪に埋めBCに戻る
変更1回目のアタック開始予定日
9月17日 BC
9月18日 BC
9月19日 BC ニコ生の登頂生中継の予定が9月24日になる
9月20日 BC→C2(6400m) 変更1回目の登頂予定日
9月21日 C2 ステイ
9月22日 C2 ステイ
9月23日 C2 ステイ
『昨日までかなりの積雪で今日は表層雪崩の危険性があるのと、25日が
強風の予報になったため、そのままステイしました。』
9月24日 C2→C3(7000m) 変更2回目の登頂予定日
9月25日 C3→FC(7550m**) またもルートを外れジェネバスパー左側に迷走
『最終キャンプとして7600-7700m地点にテントを張りました』
『予定変更して明日は1日レストにして、明後日27日(日)の登頂
&生中継を目指します。』
9月26日 FC ステイし深夜出発
変更3回目の登頂予定日
9月27日 FC→7730m地点***→BC 『ラッセルで長い時間が掛かり、このまま進むと生きて戻ることができないと
判断して、悔しいですが下山を決めて最終キャンプまで戻ってきました。』
下山中にFCで音声のみ生中継、現地時間夜10時にBC帰還。
下山中のFCより下のSPOT(GPS)表示は無し
変更4回目の登頂予定日
9月28日 BC ステイ 
ブログでローツェフェイスに向かわなかった理由を釈明
9月29日 BC ステイ
9月30日 BC ステイ
10月1日 BC ステイ
AFP通信のインタビューではボチボチトレックのティカ社長が「10/1に再出発の予定」と
答えていたものの、出発せず
『恐らく登頂日は、10月6-7日になると思います。』
10月2日 BC→C2
10月3日 C2→C3
10月4日 C3 ステイ
『今日はかなりの強風なのでキャンプ3でレストです。』
10月5日 C3 ステイ 強風を理由に待機
10月6日 C3→FC 『7日19:00(日本22:15)頃からアタック開始の予定です。』
10月7日 FC→ 夜間出発
10月8日 FC→8160m地点→BC 7800m付近からサウスコルまでのSPOT(GPS)は往路復路とも表示されず

(*)栗城もハイキャンプまで登ったのか、BC待機なのかは不明。
(**)7600-7700mと広報しているが、行動開始前の座標(27.97444、86.92393)から得られる標高は7554m。前日の最終座標(27.97365,86.92355)は7490mで、これは行動終了前にSPOT(GPS)のスイッチを切ったと思われる。
(***)最高高度に達した際の座標(27.97449 86.92715)より算出

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最終更新:2022年08月09日 12:41

*1 ベースキャンプの標高は5300mなのでここからして出鱈目である

*2 C2でも6500m、プモリ・ハイキャンプでも5600mなのでこれも出鱈目である

*3 記事中ではローツェを狙う韓国隊とヌプツェを狙う別の隊もアイスフォールを通る可能性があると示唆しているが、韓国隊はアイスフォールを通らないローツェ南壁に挑み、ヌプツェに登る隊(ウエリ・シュテック)もアイスフォールを通らない南側からの登山なので、アイスフォールを通るのは栗城隊のみ。韓国隊は過去に何度かローツェ南壁に挑んでおり、2013年にはノーマルルートで順応する戦略をとったが、この年(2015年)はノーマルルートには登っていない。  韓国隊フェイスブック https://www.facebook.com/lhotse2013

*4 ロー・ラ経由の西稜ルートはアイスフォールを通らずに登れる。このルートの初登は1979年のユーゴスラビア隊、ネパール側からロー・ラ経由で登った。

*5 下から見えない位置に最終キャンプがあるとの説明があり、下からの望遠レンズ映像にも栗城の姿は全く映っていない

*6 風速は頂上でも10m/s以下(36km/h以下)で、エベレストとしては弱風の範囲内 https://archive.is/W5vum