「元ニート」「元引きこもり」を自称しているが
実際にはそのどちらの経験も無く、高校卒業後に短期間フリーターをしていたのみ。
「引きこもり」は彼女にふられて部屋で数日間落ち込んでいたことを大げさに誇張しただけ。
眼鏡(時計宝飾)店を経営し、後にホテル経営者となる裕福な両親の元に2人兄弟の次男として生まれる
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小学5年生のころ、父親が一人で温泉を掘りはじめる(5年後、実際に温泉を掘り当てた、とされる)(*6)
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1999年(高校2年)、母親が癌で他界
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2001年春、高校卒業後、都会に憧れ、よしもとNSCに入所するために上京するも途中で辞め、以後数か月フリーター生活(*7)
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彼女(*8)に「車を持っている大卒の公務員がいい」と言われ、2002年4月に北海道に戻り「名前を書けば入れる大学(本人談)」に入学 (*9)
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車を買い公務員試験の勉強を始めるが、大学1年の夏、彼女に「2年間付き合っていたけどあんまり好きじゃなかった」と言われふられる
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ふられたショックで無気力になりアパートの部屋に1週間引きこもる。布団に人の形の黒カビが生えた、と話す(*10)。
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2002年9月2日(大学1年)、栗城が代表となり今金の仲間達と地元今金町の特産品を札幌三越前で売るイベントを行う。大学3年まで開催した。(*11)
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元彼女が山を登っていたので、自分も登山をしてみたくなり、他の大学の登山部に入部
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2002年(大学1年)年末、山岳部の先輩と2人で中山峠から小樽市の銭函まで1週間程度の雪山(標高1,000m前後)の年越し縦走を行う
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2004年(大学3年)6月、いきなり初海外一人旅でマッキンリー登頂
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マッキンリー登頂後、帰国時に「7大陸最高峰単独登頂」の夢を宣言する
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2005年(大学4年)のときにスポンサーをつけて、アコンカグアとエルブルスに登頂。
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2005年9月、北海道の札幌の経済人らが栗城応援団を発足 (*12)
このころから地元で講演会やトークショーに呼ばれるようになる
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2005年10月にキリマンジャロ登頂、12月に南極ビンソンマシフ敗退
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2006年3月、大学卒業。卒業式に練習なしで100kmマラソンを実行するも、途中で断念しタクシーを使用する。
(大学時代のエピソードはほかにも学園祭のステージで全裸になり実行委員会につかまったことなどを武勇伝として語っている)
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2006年10月にカルステンツ・ピラミッド登頂
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2007年、日テレ土屋敏男のプロデュースで「ニート登山家」としてデビュー(*13)。チョ・オユー登山を動画配信し、その後DVDを発売
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2007年8月、「株式会社たお」を設立
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2007年12月、南極大陸ビンソンマシフ登頂
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「世界初・前人未踏・単独無酸素で世界七大陸最高峰に挑戦する元ニート登山家」としてメディアに登場するようになる(*14)
(その後はトーンダウンして「日本人初」となり、2011年頃からこの文言を使っていない)
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現在に至る
*1 吉本公式サイト 栗城史多 所属:よしもとクリエイティブ・エージェンシー(死後も見れたため、生前ずっと所属していたと分かる)https://web.archive.org/web/20161219104611/http://search.yoshimoto.co.jp/culture_prf/details.html?id=3460(キャッシュ)
*2 拓殖大学のサイト(キャッシュ) https://web.archive.org/web/20150924112937/http://www.takushoku-u.ac.jp/news/2009/100122kuriki.html
*3 2009年前後に北海道放送で栗城を取材していたテレビディレクターのブログ「お笑いタレントを目指していた登山家」2018年06月10日 https://ameblo.jp/chekitara/entry-12382663907.html (→WebArhiveによるキャッシュ)
*4 『一歩を越える勇気』 高校卒業から大学入学まで1年間のブランクがあり、川崎市に住んで牛丼屋と警備員のバイトをやっていた、とある。
*5 https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/out/1527057692/851
*7 よしもとNSCにどのくらいの期間所属していたかは定かではない。また社会通念上はフリーターではなく大学受験浪人になるだろう。
*8 この彼女は2歳年上で、栗城が高校3年(今金在住)の時から高卒後のフリーター時代(川崎在住)を経て、大学1年の夏(札幌在住)まで2年間付き合ったと語っている
*10 通常、1週間程度ではカビは生えないし、万年布団でカビが生えるときも人型にはならないので、ただの法螺話と思われる
*11 2002年08月29日北海道新聞朝刊、広報いまかね2002年10月号。なお、この今金町の特産品販売イベントで地元北海道でのマスコミにコネクションが出来たと語っている(VIVA ASOBISTのインタビュー記事/魚拓)。このインタビュー記事では大学3年まで物産市をやったとあるが、同記事内で大学3年のときには開催していないとも語っており、矛盾している。大学2年の2003年8月29,30日に開催したことは広報いまかね2003年10月号で確認できる。
*12 札幌の経済人ら、世界7大陸最高峰単独登頂チャレンジの大学生の応援団を発足 (オリジナルサイトはリンク切れ)