日本の山のまとめ

世界の山々に挑んできた栗城だったが、日本に戻っているときはスポンサーへの挨拶や講演会に駆け回っていたという。そのため、日本国内の山へはあまり登っておらず、実践的なトレーニングも満足に行っていなかった。それゆえ、訓練なしにぶっつけ本番の海外遠征を何度も繰り返していた。

国内登山歴 (2012年まで)

栗城が登った日本国内の山で、わかっているのは以下の通り。
20才 2002年冬 中山峠から小樽市の銭函まで 2名で1週間程度の雪山(標高1,000M前後)の年越し縦走。
??才 ????年春 富士山 栗城談「昔、冬の富士山で下山口を間違えて山菜採りのおじさんに救出された」 冬??
26才 2008年夏 富士山8合目で敗退 「詳細は後日報告します」・・・報告無し
28才 2011年冬 アイスクライミング初心者講習参加 「アイスクライミング合宿」と報告していたが、実は初心者講習だった。
29才 2011年夏 狩場山(1520M)敗退 テレビ撮影、小学生44人と、ハンター同行熊出没、ようこそ先輩オンエアー10/22
29才 2011年夏 念願の夏富士初登頂成功 テレビ撮影、1泊2日子供3人同行登山、剣が峰へは登頂せず下山
29才 2012年春 羊蹄山(標高1898M) 友人の結婚式へ送るビデオレターの撮影、プロガイド2名同行 1200Mで撤退
※2013年以降は凍傷受傷後の山行を参照

栗城自身も認めていたとおり、ここ数年は日本の山にほとんど登っておらず、特に、ヒマラヤ登山で失敗を重ねていた2009年から2012年までの間、日本国内の山にはテレビの仕事や撮影でわずか3回登っただけで、それ以外には登った記録がない。(ちなみに3回のうち2回は小学生を連れての夏山登山で、残り1回は春山途中下山である)

ヒマラヤなど世界中の山に挑む登山家は、普段はホームグラウンドの山で訓練を重ねるのが普通だが、栗城は日本に居るときにそのような訓練を全くと言っていいほど行っていなかった。もちろんトレーニングをするのは国内の山でなくてもいいのだが、栗城の場合、いつも他の山でトレーニングをせずに、ぶっつけ本番の遠征を繰り返していた。これに関し2012年にブログで「鬱になるほど資金集めが忙しくて、山に行く時間がなかった」と釈明している。そのほか、栗城は日本の山に登らない理由として、他にも「大きな山にしか興味がない」「内地の山は人が多そう」などを挙げている(後述)。

その他に、2011年になって北海道でアイスクライミング合宿に参加している。本人は「合宿」と称していたが、しかし別の参加者のブログにより、実はアイスクライミングの初心者講習であることが発覚。クライミングの実力については以前からいろいろ言われていたものの、この一件で大きな疑問符がつくことになってしまった。



日本の山に登らない理由

なぜ栗城は日本に居るとき山に登ろうとしなかったのか。生前栗城は次のような理由を挙げていた。

資金集めが忙しい

栗城史多著「一歩を越える勇気」p129
わらしべ登山家(註:栗城自身のこと)は毎日、各界で活躍する人たちに会いに行っている。山に登るトレーニングをほとんどすることもなく、休日でも、「冒険の共有」を行うのに少しでもチャンスがあるならばと、呼ばれたり、何かを頼まれたりしたら断ることなく全て行くようにしていた。

栗城史多公式ブログ 2012-08-16
「鬱ですね」シシャパンマ南西壁の出発直前に医者から言われた言葉だった。(中略)
エベレストの生中継資金を集めるために企業を疾走し、全国を講演で回るようになってから休みは一切無く、休日に山に行けるような日々はほとんどなかった。じゃあ休みを取って山に行けばいいじゃなかと思うかもしれないが、エベレスト生中継を実現させるには理想だけではすまされない。その目標金額を逆算し計画を立てると、とても休んでいられる状況ではなかった。(中略)
だが、そんな日々が続くようになると夜に人から電話が掛かって来ても不安を感じて出なくなり、一日ある休日も外に出ようとする気すらすでに無くなっていた。そんな中で出発を向かえる遠征が、実はこの3年間続いた。

以前はこのように、「山に登るトレーニングをほとんどしていない」と公言していたが、ヒマラヤ登頂に何度も失敗したこともあってか、2011年頃からトレーニングをしているとアピールするようになった(→登山のトレーニング)。また、2011年以降、エベレスト登頂前には過去最高の体に仕上がったとアピールするようになった(→ボジョレー栗城)。
もっとも、行っていたというトレーニングは登山やクライミングなど実践的なものではなく、ピラティスやヨガ、加圧トレーニングなどであるが…。

大きな山にしか興味がない

前に山は好きですか?と聞かれました。厳密に言うと「大きな山」にしか興味がないです。そこに行くために、そこを登るために全てを犠牲にして毎日をやり遂げます。

内地の山は人が多そう

休日はどこか行きたいと全く思わない。街にいると何だか緊張するし、内地の山は人が多そうだし、休日は近所のナチュラルローソンで充分です。暗いかな?


凍傷受傷後の山行

2012年のエベレストで指に重度の凍傷を受けたが、半年後あたりから手術もせずに国内の山を登り始めた。
どれもハイキングレベルの山行だが、指は相変わらずミイラ化しており、一人では靴紐も結べない要介護状態なので、毎回付き添い人がいる。感染症から敗血症になるリスクがあり、またバランスを失って手を突いただけで指の正常な部分にも悪影響を及ぼす可能性があるが(例えば骨折など)、周りに止める人間はいなかったようである。支持者を繋ぎ止めようとしていたのか、SNSなどで登ったことをアピールしたり、自らのファンと一緒に登ったりしていた。

2014年の正月前後に壊死した指の切断手術を行い、ようやくまともなリハビリや登山ができるようになった。その後は「山の先輩との訓練」と称してプロガイドを雇い、八ヶ岳などを登るようになった。なお、ガイドを雇っていることは公には伏せられていた。

31才 2013年夏 金時山(標高1213m)登頂 凍傷後手術をせず、手に包帯を巻いたまま
高尾山(標高600m)登頂 標準コースタイム90分の6号路を、「ゆっくり休み無くで40分」とトレイルランニング並のタイムで走破したとしている。登山中の画像は1枚も出さない一方で、6号路とは全く接点のない場所(ケーブルカールート上)にある「たこ杉」の写真を公開。そのためルート(またはタイム)の捏造疑惑が浮上。
藻岩山(標高531m)登頂 ロータリークラブ国際ロータリー第2530地区(福島)と第2510地区(北海道西部)が招待した福島県飯舘村の子どもたちと登頂
八ヶ岳縦走 硫黄岳~赤岳~権現岳~天女山駐車場
2013年秋 筑波山(標高871m)敗退 支援者との交流登山。「来週穂高岳に登る」と事前予告していたのだが…。既に台風直撃の予報が出ていたものの決行。大雨洪水警報が発令されるなど大荒れの天気になり、ケーブルカーの駅で記念撮影後日帰り温泉に寄っただけで解散。
大和葛城山(標高959m)中止 メール会員や支援者にのみ連絡が行っていた模様。雨天により当日朝五時に参加予定者へ中止の連絡が回ったが、それを知らずに集合場所に来た人がブログで言及したため明らかになった。
筑波山(標高871m)登頂 ファンクラブ会員との交流登山
金剛山(標高1125m)登頂 高槻市ユメ保育園の関係者との交流登山
2013年冬 八ヶ岳 「初日の出を共有」と門谷カメラマンと八ヶ岳へ。写真は出発時、ツェルトでビバーク中、山頂、山小屋の3枚だけで道中の経過は不明
2014年春 八ヶ岳 「お山の先輩」と2泊3日で赤岳と大同心南を登ったとFBで報告。写真は赤岳山頂のみ
西穂高岳 西穂山荘から西穂高岳登ったとTwitterで報告。山荘から西穂山頂まで1時間40分とこれまた無雪期熟練者並みのタイムで登ったと主張している。
富士山 吉田口*1から4時間半という常軌を逸した登頂スピード申告。なお、twitterで「大土君に運転してもらった」とツイートしているが、もし駐車場のある五合目*2まで車で来たのであれば「吉田口」からではない。
32才 2014年夏 奥穂高岳(3190m) 「お山の先輩」と「追い込み」をテーマにジャンダルム~西穂と縦走の予定だったがトラブルのため奥穂までで下山
2014年冬 八ヶ岳 敗退 「赤岳と阿弥陀岳に向か」ったが、どちらも登頂せずに下山
2015年 不明 敗退 twitterで行先を明言せず出発だけ仄めかしたものの、悪天候を理由に中止
八ヶ岳 「お山の先輩」と八ヶ岳大同心南稜でトレーニングをしたとツイートしたが、アルパインクライマー花谷泰宏氏によるガイドツアーだったことが同日同ルートで入山した登山者のブログで判明*3
甲斐駒ケ岳(2967m) 敗退 黒戸尾根を山小屋泊・2日間の予定で入山したが、悪天候を理由に敗退。Twitterで『標高差2500mはいいトレーニングになります』とツイートした*4
富士山 敗退 朝6時半に「0合目*5の「馬返し」をスタート。「かなりかなりいいペースで登りましたが、9合目近くで身体に異変が起きて、下山」とツイート
富士山 「五合目駐車場から山頂まで1時間55分で登頂、お鉢を走って山頂で泊まる」とツイート
33才 2015年11月 蓬莱山(1173m) チーム栗城の交流登山。とはいっても悪天候のためロープウェイ駅から少し歩いただけだった。
2016年1月 八ヶ岳 「お山の先輩」*6とともに石尊稜、阿弥陀岳北陵、赤岳主稜線を登攀
甲斐駒ケ岳 1泊スケジュールで黒戸尾根を登る。明らかにしていないが花谷ガイドも同じスケジュールで登っており、ガイド登山の模様。刃渡り(1900m付近)までアマチュア登山者*7が先行していたことには触れず、「積雪後山頂までは誰も登っていなかった」をアピール。
2016年2月 八ヶ岳 2/12『かなりスピーディーに阿弥陀岳北西稜、中山尾根を継続登山してきました。』
2/18『旭岳 *8東稜登ってきました』
34才 2016年7月 富士山 「呼吸が乱れないこと、疲労感を出さないを目標にして安定したペースで2時間で登ってきました。」
狩場山 ファンとの交流イベント
2016年10月 伯耆大山 ファンとの交流イベントの予定だったが、鳥取地震のため中止。以前は協賛スポンサーによる送迎バスの用意がなされていたが今回はなく、参加者同士での車の乗合いを要請していた*9
2016年11月 万次郎岳(天城山) 参加費25000円の交流イベント。こちらも送迎バスは出なかった模様*10
2017年2月 赤岳 プロガイド江本悠滋が帯同して赤岳主稜を4往復 *11
2017年3月 富士山 敗退 馬返し手前から出発したものの雪のため5合目でテント泊しただけで帰る
35才 2017年7月 美利河丸山(647m) 今金町120年記念事業*12
赤岩 「尊敬している山の先輩と」トレーニング

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最終更新:2022年09月30日 00:49
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*1 富士急行線富士山駅から徒歩30分ほどのところにある、北口本宮冨士浅間神社の遊歩道入口(標高860m)か馬返し(1400m)を指すのが普通。

*2 夏に一般的に登られるのは五合目(2300m)からであり、栗城が登った日はすでに五合目まで富士スバルラインが営業していた。

*3 岳心会のブログ2/13のエントリー

*4 黒戸尾根ルートの登山口は尾白川渓谷駐車場(竹宇駒ヶ岳神社)で標高770m。標高差は2200mなので水増ししていることになる

*5 前出の通り吉田登山道は北口本宮富士浅間神社(もしくは金鳥居)が起点である。馬返し(1400m)までは現在一般車両や路線バスが入っていけるため「五合目ではない下からの登山」としてスタート地点とすることが多いが、ここは0合目でなく単に一合目の手前である。

*6 花谷泰広ガイドのこと。

*7 参考:http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-802889.html

*8 権現岳の北にある2672mの小ピーク。大雪山系の旭岳ではない

*9 http://www.kurikiyama.jp/teamkurikitozankansai2016

*10 参加者の発言から

*11 https://www.facebook.com/permalink.php?id=1091215503&story_fbid=10208863820888082

*12 http://ima-channel.com/wp-content/uploads/2017/05/38072e4ae862d0b996b554d8dfa9befa.pdf