若者のすべて ◆hqLsjDR84w



 ◇ ◇ ◇


 音もなく。
 気配もなく。
 前触れもなく。

 四人しかいなかったはずの民家のリビングに、『五人目』が忽然と姿を現した。

 いきなりの乱入者に驚愕を露にしたのは、加藤鳴海と阿紫花英良の二人だけ。
 紅麗は微動だにせず、またその表情は被ったままの禍々しい仮面によって窺えない。
 そして高槻涼は、五人目が現れることを予想していた。
 彼のなかに埋め込まれているARMSコアが、共振反応を捉えていたのだ。
 ゆえに、分かっていた。
 彼が――キース・シリーズの末弟たるキース・グリーンが、こうして眼前に立つことを。
 共振反応を捉えた数秒前から、ずっと。

「へえ……なるほど、ね」

 鋭い目つきでリビング内を見渡し、グリーンは金色の髪をかき上げる。
 髪で隠れていた整った顔が作っているのは、挑発的な笑顔だ。
 殺し合いを命じたキース・ブラックと同一の顔立ちをしていながら、彼よりもだいぶ若い。
 纏ってるスーツが、年不相応に思えるほどだ。

「こうして群がっているということは――つまり『そういうこと』か、高槻涼。
 赤木カツミが死んだというのに、それでも君はそういう道を選んだというワケか」

 見下すような視線と、嘲るような口調。
 以前対面したときとまったく変わらない。
 そう思うよりも早く、涼のなかのジャバウォックが疼く。
 蘇るのは、グランドキャニオンでの大虐殺である。
 地下道を抜けてやっと屋外に出た涼たちを待っていたのは、無数の戦闘用ヘリコプターだった。
 ようやく真っ当な人生を送れるはずだったチャペルの子どもたちは、そのほとんどが機銃によって撃ち抜かれた。
 ARMS適正者たる自分たちばかりが生き残り、幼い子どもたちは肉片へと成り果てた。
 手を取って逃がそうと思った少女は、二の腕から先だけしか残らなかった。

 あの戦闘機集団を指揮していたのが、他ならぬキース・グリーンである。

 涼は、決してあの日見た光景を忘れない。
 あの日の怒りは、悲しみは、喪失感は、一瞬とて薄れたことがない。
 そしてそれらの感情を食らうのが、涼に埋め込まれたジャバウォックだ。
 全身にナノマシンが巡り、顔面に奇妙なラインが入る。
 適正者にしか聞こえぬ高音を鳴らし、右腕が姿を変えようとする。

 ――が、涼は右腕に力を籠めてARMS化を抑え込む。

 グランドキャニオンでの大虐殺を忘れたワケではない。
 グリーンを許してやろうというつもりでも、断じてない。
 ただ、破壊の化身であるジャバウォックに意識を委ねる気がないだけだ。
 ジャバウォックの『力』を借りることはあっても、『意思』を任せるつもりはない。
 そう誓ったばかりである。

 御神苗優に、加藤鳴海に、紅麗に、オリジナルARMSの兄弟たちに、ジャバウォックに――そして何より、自分自身にだ。

 程なくして、ジャバウォックが鎮まる。
 憎悪や怒りを受け入れた上で、ともに進もうとしてくれているのだ。
 胸中でジャバウォックに頭を下げてから、涼はグリーンのほうを向き直る。

「そうだ。俺はこの道を選んだ」

 胸を張って宣言し、警戒心を強めながら問いかける。

「お前は……いったいどうなんだ」

 はッ――と短く笑い、グリーンは挑発的な笑みを深くした。
 やたらと大げさな動作で肩をすくめてから、当然のように答える。

「決まっているだろう、考えるまでもない。
 僕と君の行く道が重なるなどと、そんな可能性を億分の一でも信じていたのか?
 だとすれば、少し会わないうちに随分と――」

 グリーンが言い切るより早く、涼が纏うスーツの右肩から先が弾け飛ぶ。
 肉食獣じみた鋭い爪を備えたジャバウォックの腕へと、一気に変化させたのだ。
 その爪でグリーンを切り裂くべく床を蹴った涼よりも、さらに早く動いた男がいた。

「ッらああああああああ!」

 ほんの少し前まで唖然としていた加藤鳴海である。
 彼は、涼からキース・シリーズの存在を聞いていた。
 当然、グランドキャニオンにて子どもたちを虐殺したグリーンについてもだ。
 にもかかわらず動かなかったのは、唐突な登場に呆気に取られたからにすぎない。
 殺し合いに乗っているなどと言われれば、すぐに我に返る。
 そうなれば、鳴海が罪なき子どもを蹂躙したグリーンを許すはずがない。
 床に穴が開くほどの踏み込みで肉薄し、腰を低く落とす。
 練り上げた気を右拳に集めて、ミサイルじみた軌道で撃ち出す。
 この時点においても、グリーンの視線は涼に向けられたままだ。
 鳴海のほうを振り向こうとすらしていない。
 その素振りにほんの少し苛立ちを覚えながらも、鳴海は集中を乱さず拳を振り抜いた。

「……あ?」

 鳴海の拳は、空を切った。
 触れる寸前で、グリーンの姿が掻き消えたのだ。
 超スピードで移動したのではない。
 であれば、しろがねである鳴海には勘付けるはずだ。
 だとすれば――

 後頭部に衝撃が走り、鳴海の思考はそこで打ち切られた。

「めでたい頭になったものだな、高槻涼」

 部屋の隅まで吹っ飛んで行った鳴海をよそに、グリーンは悠々と言葉の続きを述べる。
 キース・グリーンに埋め込まれしは、アドバンスドARMS『チェシャ猫(キャット)』。
 その能力は、『空間操作』。
 彼にとって、距離など関係ない。
 たとえ離れていようと一瞬のうちに肉薄できるし、たとえ肉薄されようと一瞬のうちに離れられるのだ。

「キース・グリーン……ッ!」

 歯を噛み締める涼の前に、紅麗の手が伸びた。

「少し、頭を冷やせ」

 怪訝そうな涼の首を掴むと、紅麗はそのまま後ろに放り投げる。
 進行方向にテーブルや椅子があったせいで、盛大な音が響く。

「お、おい、アンタ、いったいなにを……」

 巻き込んだ家具から這い出しながら、涼が尋ねる。
 グリーンから視線を離さぬまま、紅麗は淡々と言い放つ。

「ヤツの能力は聞いている。
 お前の話通りであれば、加藤鳴海の背後を取った時点で殺せている」

 ここまで告げられて、涼はようやく紅麗の言わんとすることを悟った。
 グリーンは鳴海を殺すこともできたのだ。
 背後を取っていたのだから、『空間の断裂』を放てば終わりだったはずだ。
 そんな涼の考えを見透かしたように、紅麗は続ける。

「にもかかわらず、おそらく『空間の塊』かなにかを射出した。
 容易に命を奪える場面で、ただ『意識を落とす』だけしかしなかった。
 そもそもだ。こうして私たちの前に姿を現したこと自体が、至極不自然だ。
 ARMSの共振反応で高槻涼には感知されるとしても、それを他者は共有できない。
 もちろん口で知らせることは可能だが、それを行うには僅かばかり時間を要する。
 その僅かな隙すらつけるほどに、『チェシャキャット』とやらの能力は優れている。
 この家の外――せめて部屋の外に瞬間移動すれば、それだけですでに十分優位に立てよう。
 だというのに、あの男はそれをしていない。その理由はおそらく――」

 一拍置いて、紅麗は静かに断言する。

「あの男は、感じ取った共振反応の持ち主に話がある……ということだ」

 涼の思考が停止した。
 それほどまでに、衝撃的な内容だった。
 戦闘や殺害が目当てではなく、会話が目的である――など。
 自分とグリーンの関係を思えば、とても考えられないことだった。

「くッ、ははは! はははははっ!!」

 だからこそ響く笑い声に、涼は安堵してしまった。
 こうして紅麗の予想を嘲笑ってくれれば、グリーンは変わらず許してはならぬ敵のままなのだから。
 そんな涼の期待を裏切るように、不意に哄笑が止まる。

「……ふん。なかなか聡いじゃないか。
 さすが兄さんが集めたプログラム参加者とでも言うべきかな」

 キース・グリーンが、苦々しく吐き捨てる。
 余裕ぶった笑みは、いつの間にか消え失せていた。
 その口調は、涼の知るものではなかった。
 その表情は、涼の知るものではなかった。

「ああ、そうさ、そうだとも。
 僕は――高槻涼と話に来たんだ。
 まさか、こんなに他人がいるとは思っていなかったけどね」
「なるほど。一対一での対話を望んでいたワケか」
「そうなるね。やれやれ、よもや三人もいるとは」
「加藤鳴海を殺さなかったのは、高槻涼を暴走させぬためか」
「そこまで読まれるなんてね。ああなられては、到底会話なんてできないからね」

 グリーンと紅麗のやり取りを間近で聞いていながら、涼はほとんど頭に入っていなかった。
 あまりに信じ難い内容だった。
 信じられないのではなく――信じ難い。
 紅麗の予想は頷ける。納得がいく。グリーン自身も肯定している。
 信じられるのだろう、本来は。
 そう分かっていながら、信じることが難しい。
 グランドキャニオンでの大虐殺以来、絶対に許してはならぬ敵だとみなしてきた。
 決して本来の目的ではないが、少なからずあの日の借りを返すというのも進んできた理由の一つだ。

 だというのに――これは、いったい、どういうことなのか。

 なんとしても倒すべき、倒さねばならない、そんな相手だというのに。
 自分との対話を望んでいるのだという。
 その話に乗ってしまっていいのだろうか。

 あの日命を落とした子どもたちは、許してくれるのだろうか。

 あの日ともに憤り悲しんだ仲間たちは、許してくれるのだろうか。

 あの日無力さを痛感した自分自身は――許してしまえるのだろうか。

「そういうことだ、高槻涼」

 思考の渦に沈む涼を呼び戻したのは、グリーンの声だった。
 涼の知らぬ真剣な表情で、こちらを見据えている。
 少しずつだが、たしかに歩み寄ってくる。
 空間移動を使わずに、その足で一歩ずつ。

「知られた以上、隠す必要もない。選ばせてやる。
 僕が残った二人を黙らせるのを待つか、それとも――」

 あと二歩ほどの距離まで来て、グリーンは足を止めた。
 そうして、ずいと右手を伸ばす。

「この手を掴んで、邪魔者のいない場所まで移動するかだ!」

 涼は、手を伸ばせない。
 グリーンの意図が気にはなっている。
 なにを話そうというのか、それ自体は興味深い。
 しかしあの日の記憶が、涼のなかには鮮明に残っている。

 グリーンの腕を掴むべき右腕は、まだARMS化したままで――

 これでは、『手を取る』ことなどとてもできない。

 かといって、現在の涼には問答無用でグリーンに爪を伸ばすこともまたできないのだ。
 対話を求めてきている相手を切り裂くなど、それもまたあの日の記憶が許せない。
 何せ――グランドキャニオンで虐殺された子どもたちもまた、一度は敵対した相手であり対話の結果仲間となったものたちなのだから。

 決めかねている涼に痺れを切らしたのか、グリーンは開いている左腕をスーツの胸ポケットに突っ込んだ。
 取り出されたのは、一房の黒髪だった。

 涼の瞳が見開かれる。
 見紛うはずがない。
 その髪は、まさしく――

「二度は言わないからよく聞け」

 グリーンは間を置かず、一息で言い放つ。

「僕は彼女を愛していた」

 そのやり切れないような表情は、やはり涼の知らぬものだった。

「僕が君としたいのは、その話だ」

 瞬間、涼の思考が吹き飛んだ。
 忘れてはならないあの日の記憶さえ、どこかに行ってしまった。
 あのキース・グリーンが対話を求めてきた理由は分かったが、同時に寝耳の水でもあった。

「…………」

 少しの時間を空けて、正気に戻る。
 理由を知り納得してなお、涼は決められずにいた。
 視線を落として、なにも言えずに沈黙する。
 そんな涼の肩を、何者かが叩く。
 振り返ると、そこにいたのは炎の天使。
 極限まで温度を下げたそれを操るのは――

「すまない」

 同じ場所から一向に動かない紅麗に頭を下げて、涼はグリーンの手を取る。
 その手はジャバウォックのそれではなく、柔らかく温かい人間のそれであった。


「行く前に聞かせてもらう。
 キース・ブラックの部下である貴様らは、このプログラムについてなにか知っているのか?」
「少なくとも、僕はなにも聞かされていない」
「ならば……」

 質問が纏まっておらず、紅麗は口籠ってしまう。
 とはいえ、迷っている時間などない。
 涼から情報を得た際に抱いた疑問を、そのまま聞くことにした。

「『バンダースナッチ』、『ボロゴーヴ』、『ジャブジャブ』、『ラース』、『トーヴ』、『ハンプティ・ダンプティ』。
 これらの名を冠するARMSは存在しないのか?」

 涼によれば、ほとんどのARMSはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』に登場するキャラクターの名を冠している。
 しかしながらジャバウォックだけが、『鏡の国のアリス』に記述された『ジャバウォックの詩』から取られている。
 一つだけが別作品の出典というのは、不自然である。
 であるならばジャバウォックの詩から、他にも名を取っているのではないかと考えたのだ。
 ゆえに、ジャバウォックの詩に関連する生物たちをあげたのだ。
 このなかでも気になるのは、最初と最後の二つ。

 側によってはならぬとされる狂える生物、バンダースナッチ。

 ジャバウォックの詩についての解釈を語る卵、ハンプティ・ダンプティ。

「ハンプティ・ダンプティはブラック兄さんのARMSだが、他は聞いたこともない」

 それだけ答えると、グリーンの姿は掻き消えた。

 リビングに残された紅麗は、部屋の一点を見据える。
 朝日が射し込む窓の付近で、カーテンがやけに盛り上がっていた。

「…………行ったぞ」

 そう告げると、ロングコートを纏った細身の男がカーテンのなかから出てくる。
 阿紫花英良は懸糸傀儡を手元に出すでもなく、逃げやすい場所に隠れていたのだ。

「いい判断だ」
「ありゃ、まさか褒められるとは」
「なにを言う。そこで倒れているのと比べれば、どちらが優れているかなど明白だろう」
「まァ、そりゃそうだ」

 部屋の隅で意識を失っている鳴海を見て、阿紫花は冷や汗を垂らす。
 鳴海と涼がグリーンに飛び掛かって行った際、彼らとは逆に身を潜めた。
 その結果、鳴海は倒れて、阿紫花はぴんぴんしているのだった。

「しかしあの二人、行かせてよかったんですかい?」
「構わん。訊き出すべき情報は得ている。
 対ARMSにおいて高槻涼のARMS殺しは有力だが、私たちが『爪』を所持している以上は無理に同行する必要はない」

 答えながら、紅麗はデイパックから御神苗優の首輪を取り出す。
 先ほどまで阿紫花が潜んでいた窓際に向かって窓を開けると、首輪を思い切り外へと放り投げた。

「……は?」

 事情を呑み込めない様子の阿紫花をよそに、紅麗の傍らに出現していた炎の堕天使・紅が炎弾を吐き出す。
 凄まじい速度で放たれた炎弾は首輪を包み込み、空中で燃え上がる。

「…………は?」

 なおさら困惑する阿紫花だったが、紅麗は無言のままだ。
 空中で炎上した首輪のほうに紅を向かわせて、自ら放り投げた首輪を持ち帰らせる。

「ええと、紅麗さん? いったい、なにをされてるんで?」
「室内では燃え移りかねないからな。
 また首輪の性質が分からない以上、紅に直接触れさせるのははばかられた」
「そういう話じゃねえんですが……」

 口籠る阿紫花に、紅麗は首輪の内部を見せつける。
 すでに炎は紅麗によって払い除けられたあとだ。
 とはいえ熱を持ったままとは思われたので、阿紫花は触れようとしない。
 その判断は正しい。紅麗は炎術士ゆえ、炎や熱には耐性があるのだ。

「こりゃあ……ッ!?」

 夜のうちに確認した際、首輪は外側だけでなく内側にも微かな継ぎ目一つなかった。
 こんなものをどうやって首に嵌めたのかと気になったため、阿紫花はよく覚えている。
 だというのに、いま紅麗に見せられた首輪の内側にはたしかに小さな継ぎ目が存在するのだ。

「高槻涼の首輪を見た際に気になっていたが……やはり、熱だったか」

 二つの首輪は同一のものであるはずなのに、涼のものだけ内側に継ぎ目が刻まれていた。
 理由を考えていた紅麗のなかに引っかかっていたのが、紅の炎を受けて赤熱化したジャバウォックの姿であった。
 その仮説をたしかめる決意を後押ししたのは、最初の六時間で十六名が脱落している事実である。
 もしも外れていたところで、新しいサンプルはいずれ見つかるだろう。
 であれば仮説を仮説のまま放置しておく理由なぞ、まったくなかった。
 キース・グリーンという乱入者のおかげで、検証するまでに多少時間が空いてしまっただけだ。

「行くぞ、阿紫花。
 技術者や、首輪のサンプル、染井芳乃を捜索する」
「ええっ、もうですかい!?
 ジャバウォックの兄さんはどっか行ったままですし、この兄さんなんか寝たまんまですぜ?」
「知ったことではない。
 高槻涼と同行する理由はもはやないと、言ったところだろう。
 それに、空間を操作する能力だと知っておきながら飛び掛かるような男なぞ、勝手に寝かせておけ」

 言い放つと、紅麗は律儀に玄関に向かっていく。
 その背中と鳴海を見比べてから、阿紫花は薄く笑う。

「すいやせんね、兄さん。
 記憶喪失ってヤツみてえだし、いろいろ話してやりてえのはやまやまなんですがね。
 どうも今度の雇い主はずいぶんせっかちみてえで、あしからず。
 さすがに雇い主無視するワケにゃあいかねえんで。ま、縁がありましたら、また会いましょうや」

 鳴海の返事があるはずもない。
 一枚千切ったメモにペンを滑らせて置き手紙代わりとすると、阿紫花は玄関へと向かった。


「…………」

 追ってくる阿紫花の足音を聞きながら、紅麗は一人黙考している。
 先ほど、紅が涼を促すように彼の肩を叩いた。
 アレは、決して紅麗が命じたワケではない。
 ただ紅を発現させただけで、その後の行動については彼女に委ねた。
 彼女が勝手にやっただけだ。紅麗の意思ではない。

 だが――その前。

 キース・グリーンの目的を見破り、涼を落ち着かせる。
 あちらは紅麗自身の意思だ。
 理由はある。
 最後に尋ねたように、グリーンには訊き出すことがあった。
 涼が知らぬエグリゴリの情報を持ち合わせている可能性が、大いにあったのだ。
 しかしそれだけならば、なにもあのようなことをせずとも構わない。
 怒りに駆られた涼とともにグリーンを追い詰め、尋問すればよいだけだ。
 にもかかわらず、それをしなかった。
 それは、はたしてなぜなのか。

「――――っ」

 過去の記憶がフラッシュバックする。

 絶叫する紅麗。
 呆然とする思い人。
 哄笑を浮かべる家族。
 気付かぬうちにしかけられていた爆弾。

 そんな――光景。

 考えれば考えるほどに。
 涼から話を聞けば聞くほどに。
 紅麗が紅麗として生きることを決意した日に、酷似していた。

「……下らないな」

 だから感傷的になったとでもいうのだろうか。
 それは、紅麗が紅麗として生きている以上はありえぬことだ。
 結局は、グリーンから情報を余計な労力をかけずに訊き出すためにすぎないはずだ。
 そう自らを納得させた紅麗のなかで、聞き覚えのある耳障りな声が響いた。

「黙れ。私のなかに貴様がいるというだけで不愉快だ」

 己のなかで響いた声に、紅麗は苛立ちを露にしながら吐き捨てた。



【F-4 路上/一日目 午前】

【阿紫花英良】
[時間軸]:20巻第33幕『合流』にて真夜中のサーカス突入直後。
[状態]:健康
[装備]:形傀儡@烈火の炎、キャプテン・ネモ@からくりサーカス、ヒヒイロカネ製の剣@スプリガン
[道具]:基本支給品一式、支給品0~1(確認済み)
[基本方針]:とりあえず紅麗についていく。


【紅麗】
[時間軸]:22巻210話『地下世界の消滅』以降、SODOMに突入するより前。
[状態]:脇腹に傷(処置済み)
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式+水と食料一人分、支給品0~2(確認済み)、首輪(優、継ぎ目あり)、優のメモ付き名簿、ジャバウォックの爪×3@ARMS
[基本方針]:プログラムを破壊し、早急に帰還する。そのために役立つ人物や情報を手にしたい。染井芳乃を捜索。


 ◇ ◇ ◇


 チェシャキャットの能力による空間移動が終わるやいなや、グリーンは涼の手を払い除ける。
 そうしてから再び空間移動を行って、十メートルほど距離を取った。
 いまはやむを得なかったが、平時ならば仲良く手を取り合うつもりはない。

 対して涼はというと、警戒心を隠そうともせず辺りに視線を飛ばしている。
 一瞬前まで民家内にいたというのに、周囲に民家などない草原にいるのだ。その反応も当然だろう。
 その様子は滑稽だったが、グリーンには話すべきことがあるので場所を告げる。

「ここは、地図で言うF-3だ。
 君たちのいたF-4から、まっすぐ一キロメートルほど進んだ地点になる。
 僕の支給品で、このエリアには他に誰もいないことが分かっている。都合がいいだろう?」

 この言葉に納得したのかはともかく、周囲に誰もいないというのは察したらしい。
 涼は視線を鋭くして、グリーンへと向ける。

「話をしたいのはお前のほうだけじゃない。
 あんなことを聞かされたんじゃ、こっちだって訊きたいことはあるぞ」

 こう来るのは、グリーンも想定していた。

「僕がいつどうしてカツミを好きになったのか、かい?」
「――っ、そ、そうだ」

 ゆえに、尋ねられる前に答えてやる。
 話をしたいとは言ったものの、涼のことが気に入らないというのは変わっていない。

「そもそも、鐙沢村で彼女を保護したのは僕なんだよ。
 君の前の前で爆撃に巻き込まれて死にかねなかった彼女を、この僕が助けてやったんだ」

 嫌味たっぷりに告げるが、涼は歯噛みするだけだった。
 その反応もまた、グリーンは気に食わなかった。

「正直なところ、最初はどうでもよかったんだけどね。
 ARMS適正者なのに進化種である自覚もないんだから、単なる下らない人間としてしか見てなかったよ。
 ブラック兄さんが回収して保護しろって命じたから助けただけで、別にそのまま息絶えようとも知ったことじゃなかった」

 煽るような口調だというのに、涼はなにもしてこない。
 沈痛な面持ちを浮かべているばかりだ。
 グリーンは、胸中で舌を打つ。

「まあ、当然丁寧には扱ったよ。兄さんの指示だからね。
 ニューヨークにある僕の家に軟禁してたワケだけど、広い部屋も与えたし、敷地内なら自由に動くことを許可した。
 食事なんかは、日本にいたころよりいいものを食べてたんじゃないかな?
 もちろん、外部と繋がりを得るようなことは禁止していたけどね」

 高槻涼の知らない赤木カツミを語っているというのに、涼は苛立ちを見せない。
 他のなによりも、グリーンはそのことが気に入らなかった。

「でもしばらく過ごしてるうちに、彼女の気を紛らわすために取り寄せた猫が死んでね。
 まったく、せっかく人が手配したというのに、すぐ用済みになるんだから困ったものだ。
 仕方がないので、僕は彼女に言ったんだ。
 『あとでメイドに処理させるから、その辺にでも置いておいてくれ』ってね。
 死んだ猫なんて生命活動を停止させた抜け殻にすぎないんだから、邪魔なだけだろう?」

 ここまでの記憶は曖昧だったが、ここからの記憶はあまりにも鮮明だ。
 あのときカツミに告げた言葉を、あのときカツミに告げられた言葉を、グリーンは一言一句違わず思い出せる。

「すると、彼女は怒ったんだ。
 この僕の頬をはたいてきてね。君の爪が届かなかった僕の身体にだぞ?
 そうして困惑するしかない僕の前で、いきなり泣き出した。
 なぜと問いかけても『人間だから』としか答えない。
 らちが明かないから仕方なく、この僕の家の庭に墓を作ることを許したらなんて言ったと思う?
 『いい人』なんて言ったんだぞ? この僕を、このキース・シリーズが末弟『チェシャキャット』のキース・グリーンをだぞ?」

 いつの間にか、グリーンの目頭は熱くなっていた。
 視界がぼやけそうになるが、高槻涼の前で無様な姿を見せるのを許すはずがない。
 スーツの袖で目元を拭って、話を続ける。

「その夜、僕はうなされた。
 あんなことを言われたんだから、当たり前だ。
 僕は『いい人』なんか知らない。僕が知る人間は、僕に畏怖の眼差しを向ける連中ばかりだ。
 うなされて目覚めたら、彼女がすぐ近くで眺めていた。
 僕の呻き声が外まで聞こえていたかららしい。普通来るか? 誰だか分からない自分を軟禁してる相手だぞ?
 なのに来て心配そうに熱を測ったかと思ったら、『落ち着くまで側にいる』なんて言うんだ。信じられるか?」

 涼は、ただ静かに頷く。
 彼はカツミがそういう人間だと知っているのだろう。
 グリーンよりも、よっぽどくわしく。
 その事実が、グリーンには忌々しくてたまらない。

「あのとき、僕は初めて他人の手を暖かいと感じた。
 『いい人』というのは、彼女のような人間を言うのだろうと思った。
 あの日以降、僕のなかで彼女は『どうでもいい保護対象』ではなくなっていた」

 もう一度目元を拭って、グリーンは涼を睨みつける。

「このプログラムの直前、僕は初めて兄さんの命令を裏切った。
 カツミをつれて、エグリゴリの手が届かないどこか遠くへ逃げようとした。
 高槻涼…………君のせいだ」
「なに……?」

 ここに至ってようやく、涼は口を開いた。

「『プログラム・ジャバウォック』の最終局面において、カツミは君の前で殺されることになっていた」
「――ッ!」
「君のせいで、カツミの身に危険が及んだんだッ! 君が生きていたせいでッ!!」

 一しきり声を荒げて、グリーンは肩で息をする。
 いくら待っても反論が飛んでこないのが、苛立たしかった。

「……まあ、なにも君がすべて悪いというワケじゃない。
 兄さんの指示を待たずに君たちにちょっかいをかけた際、君を殺せばよかったんだ。
 それに…………結局のところ、最終的にカツミを守れなかったのは僕だ。君じゃない」

 そこまで言い終えると、辺りを静寂が支配した。
 互いに無言のまま、しばらくが経過する。
 先に沈黙を破ったのは、涼のほうだった。

「それにしても……おかしくないか。
 プログラム・ジャバウォックとこのプログラムは、あまりにかけ離れすぎている。
 カツミが死んでたしかに俺は暴走した……だけど、まだプログラムは続いている! 最終局面なんかじゃない!」

 高槻涼は、すでに前を向いていた。
 グリーンは兄と出会ってやっとであったというのに、見知らぬ三人とともにいた涼がもう前を進もうとしている。
 毒づいてやりたくなったが、グリーンはどうにか呑み込む。

「……そうだ。このプログラムは、僕が知らされていたものとは違う
 だがそんなことはどうでもいい。重要なのはこのプログラムにおいてどう動くか、だ」

 ようやく本題に入り、グリーンはその右手を伸ばす。
 先刻と同じように、まっすぐと涼に向けて。

「このプログラムで勝ち残ったものは、一つ願いを叶えられると言っていたな。
 詳しく話す気はないが、死者を蘇らせることができるというのも事実だ」

 息を呑む涼に、グリーンは間を置かずに言い切る。


「僕は、カツミを生き返らせる。
 だから高槻涼、僕と――手を組まないか」


 再度、両者の間を静寂が支配する。
 沈黙を破ったのは、またしても高槻涼だった。
 険しい表情を浮かべながら、右腕をARMS化させる。
 その行動がなにより雄弁であり、グリーンは聞かずとも返答を察してしまった。
 にもかかわらず、涼は言葉を選ぶようにゆっくりと切り出す。


「悪いが断る。そして、お前を止めさせてもらう。
 カツミがそんなことを望まないことくらい、アイツを保護してたお前にも分かるだろう」


 言われるまでもないことだった。
 それこそ、その返答こそ――赤木カツミが望んだものなのは明白だ。

「そう、か……」

 赤木カツミを匿っていたから。
 彼女のことを意識していたから。
 彼女との会話を一言一句違わず記憶しているから。

 キース・グリーンには、よく理解できている。

 彼女がいつも語っていた高槻涼という男は、まさしくこういう男だった。

 こういう状況、こういう場面で、こういう提案をされて――
 カツミの望む答えをしっかり導き出して選ぶという、そんな男だった。
 いかなる状況でも前を向いて、正しいとされている道を行く男だった。

 ゆえに。
 分かっているいるから。
 重々承知しているからこそ。

 赤木カツミの理想通りである高槻涼のことが、キース・グリーンは――


「やはり、僕は君のことが心底嫌いだ」


 グリーンは伸ばしていた右手で空中を薙いだ。
 同時に空間に断裂が生み出され、涼へと飛来していく。

 涼は咄嗟に飛び退いて断裂を回避するが、その間にグリーンは掻き消えていた。
 共振反応で居場所を探ると、すでに五十メートルほど離れている。
 そのまま仕掛けてこようとしないことを涼は怪訝に思ったが、すぐに理解した。
 彼の目的は、最後の一人となること。
 決して、涼の殺害ではないのだ。

「ちいッ!」

 涼の脳裏を過るのは、紅麗の言葉だ。
 チェシャキャットの能力を考えれば、ARMS適正者以外を狙ったほうがよいのだ。
 殺し合いが進んでもまだ生きているならともかく、現時点でチェシャキャットの位置を探知できるARMS適正者と戦うメリットは薄い。
 ならば、グリーンははたしてどこに向かうというのか――決まっている。

 『ARMS適正者がおらず』、かつ『三人もの参加者がいる』場所を逃すはずがない。

「グリィィィィィンッ!!」

 思い切り地面を蹴るが、とても間に合わない。
 長距離の空間移動には時間を要するようだが、すでにかなり離れているのだ。
 それでも、涼は自身の力を信じる。
 ジャバウォックが己の意思に付き合ってくれると、そう言ったのだ。
 ゆえに、涼は無限の進化を繰り広げる己のARMSに命じる。

 力が欲しい――と。

 その呼びかけに、ジャバウォックが応えた。
 ARMS化している右腕だけでなく、全身にナノマシンが巡る。
 人間の姿を保ったまま、常人の肉体では耐え切れぬ高速移動が可能となる。
 ほんの一跳びで数十メートルの距離を詰め、涼はグリーンへと肉薄していた。

「なにィッ!?」

 目を見開くグリーンへと、涼は右手の爪を振り下ろし――

 そのまま、ARMS殺しの爪は空を斬った。

「間に合わなかったか……ッ!」

 苦々しく吐き捨てるが、まだ諦めない。
 グリーンの話が正しければ、ここは民家から一キロメートル北に行った地点だ。
 いま目覚めた高速移動さえあれば、大した距離ではない。
 そう思い直して、涼は身体を疾風とした。


 ◇ ◇ ◇


 涼が先ほどまでいた民家を発見するのに、大した時間はかからなかった。
 というのも、その民家を覆うようにやたらとイルミネーションが輝いていたのだ。
 もうすっかり太陽が昇ってしまったというのに、十分目立つほどだ。
 これが鳴海の言っていた目印なのだろうと納得して、涼は民家に入っていく。
 そこにいるのは、意識を失ったままの鳴海一人だった。

「…………?」

 混乱する涼だったが、鳴海のすぐ横に一枚のメモが残されていた。
 それによると、紅麗と阿紫花はすでに民家を出ているらしい。
 とりあえず鳴海を起こしてから、涼はぽつりと呟いた。

「それにしても、キース・グリーンはいったいどこに行ったんだ……?」

 止めねばならないのはたしかだが、向かった方角さえ分からない。
 とにもかくにも動くしかないのだが、どうにも歯がゆかった。


 涼に起こされるまで、加藤鳴海は夢を見ていた。
 ショートカットの銀髪銀眼の女性が、笑えないことを謝り続けていた。
 なんのことはない、時折見るいつもの夢だ。
 サハラの決戦で対面したフランシーヌ人形によく似ているが、まったく違う。
 フランシーヌ人形は無表情だが、夢のなかの彼女は哀しそうに泣いているのだ。
 なぜ、この夢をこの場で見たのかは分からない。
 所詮は夢だというのに、なにかが引っかかる。

「サイガ……ねえ」

 夢のなかの彼女が、そんなことを言っていたような気がする。
 どこかで聞いたことがあるような気がするが、夢についてなど考えている場合ではない。
 まだ寝ぼけているらしい自分に喝を入れるべく、鳴海は自らの頬っぺたをぱしんと叩いた。



【F-4 民家周辺/一日目 午前】

【高槻涼】
[時間軸]:15巻NO.8『要塞~フォートレス~』にて招待状を受け取って以降、同話にてカリヨンタワーに乗り込む前。
[状態]:左二の腕から先を喪失(処置済)、スーツ@現地調達
[装備]:基本支給品一式、支給品1~3(未確認)
[道具]:なし
[基本方針]:人間として、キース・ブラックの野望を打ち砕く。
※左腕喪失はARMS殺しによるものなので、修復できません。
※高速移動を習得しました(原作16巻で使えるようになったもの)。


【加藤鳴海】
[時間軸]:20巻第32幕『共鳴』にて意識を失った直後。
[状態]:健康
[装備]:なし
[道具]:基本支給品一式、支給品0~2(確認済み)
[基本方針]:仲間と合流し、殺し合いを止める。戦えない人々は守る。



【?‐? ???/一日目 午前】

【キース・グリーン】
[時間軸]:コミックス17巻NO.11『死王~バロール~』にて共振を感じ取って以降、コミックス18巻NO.3『聖餐~サクラメント~』にてキース・ブラックの前に立つ前。
[状態]:疲労(中)
[装備]:いつものスーツ、参加者レーダー@オリジナル
[道具]:基本支給品一式+水と食料一人分、カツミの髪@ARMS(スーツの左胸裏ポケット)
[基本方針]:なんとしても最後の一人となる。そのためなら兄さんや姉さんだって殺すし、慢心を捨てて気に入らない能力の使い方だってする。
※空間移動をするとかなり体力を消耗するようです。


投下順で読む

前へ:貫くということ 戻る 次へ:未来位置

時系列順で読む

前へ:貫くということ 戻る 次へ:未来位置

キャラを追って読む

100:100話到達記念企画、首輪の謎に迫る! 阿紫花英良  :[[]]
紅麗
加藤鳴海 114:置き手紙
高槻涼
090:察知――君の現在位置 キース・グリーン 113:未来位置







| 新しいページ | 編集 | 差分 | 編集履歴 | ページ名変更 | アップロード | 検索 | ページ一覧 | タグ | RSS | ご利用ガイド | 管理者に問合せ |
@wiki - 無料レンタルウィキサービス | プライバシーポリシー