第二章第一節のうち「縁起2」の分

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第二章第一節のうち「縁起2」の分 禅門云う、此の仰せ浅猿事に候。形の如くなれども弊坊一宇田一町進め奉る、争か扶育の義無しとの玉うや。上人云 う、此れは在家の田畠直を以って買得し所也云々。禅門云う、全く其の義に候わず。上人御住宅の後、何の年何の月に 直を給ひしや。上人云う、其の時の用途何貫其時用途何ん百進直に非ず乎。禅門云う、某し尫弱の身と為して鎌倉の 上下是れ常の事也。之を哀て用途を許さる此れ直ひは非ず。上人云う、沙門は貧乏無縁の者なり争か我が身命を閣きて 所領知行の地頭用途を奉る可んや乎。所詮借用の本意は室宅田畠の為歟。故に都て返報の思無し、禅門の意に随い返 すべからざるの義を云う也。時に禅門黙止し畢ぬ。荒見弥四郎兼ねて一町五段の田を進む、或る時不断念仏之志を申 し三町田の約束を致す。上人大に悦で先ず旧家を破過(コボチワタ)して仮御堂を造り大門の左右に六の列坊の地を 造り其の中に性心釈阿弥陀仏速疾に庵室を造り畢ぬ。上人此田を得時衆に配分せんと欲するに既に下種の時に至り寄進 の義無き時に蓮光房と云う者(此乗円理真従父舅也)此の人は所の名主分也。学衆の為の間上人に申して云う、在家 は出家の心と異なるなり。在家の法は田畠を寄進する始めは常法永代の事を期して酒を呑ましめ引出物を取らしむ。 若し弥四郎殿此志有るか乎。此に上人云く、サル意モアリトテ酒を造る処の学衆に肴を仰せらるる時珍物を取り集め ること山の如し。折節酒の味殊勝也。此れは一向に性心が沙汰也。十貫の銭をば地主に与え二貫をば政所三郎兵衛に 与え三貫の銭をば共の人に分與す。政所の云う、今年はアキ処候ハス仍て来年を期せ云々。時に上人恨みを成して云う 、田舎の人は盗人也。仍て鎌倉に住せん志を抽 時に国中の学者終に来たらず、為に人馬等の要事を聞かざるなり。一 物をも残ること無く全く移住せしむ故雑物其数是多し仍て設多(イクバク)の馬を鎌倉に登らしむ。坂東の者には性 心理真明阿其外は大略西国の志ある修行者也。仍て竹負(タケオイヲ)カケ馬の口を引く等也。道路の人怪しみて之 見る鎌倉に登りて玉ナハニトマリ次の朝慈恩房が庵室に行く、慈恩房上人の御事を傳へ聞き一両度状を上人の許に通 じ是を記とする也。慈恩房共にして大仏の浄光聖に遇う、浄光聖の言く志切なりと雖も大栄未だ遂げざる故志の如く ならざるべし。四人の所食を進むべしと一宇の坊を造り雑人等は鎌倉中に至り小家を造り売買す。其後神六入道無常 堂に庵室を造り請け入れて法談有り云々 ●「然遇他門人等」は在阿別して何派と指さざれども多は是れ小坂義歟、其比世間に多也●「加之故上人等」は上は名 義集の義と他流の義と相対して相違を成す必ず上人面授の人を指すには非ず。下は上人の面授を聞きて彼の化導の慿 と為し各各皆上人面授の門弟なりと称す、上人は是一人也法門異徹すべからず、然るに一門の門弟其義鉾楯す之を決す 為に蓮華寺石河に往く上人の一門は誰人と云う事を弁ぜず。問う、何れも上人の面授と称え何ぞ蓮華寺等に至る乎。 答う、余人は上人の面授と称すと雖も在阿は実の事を知らず石河の蓮華寺は上人の面授為る事在阿之知る故に彼に至 りて余人の実譜を糺す也(蓮華寺は遠江国禅勝房也石河の里は相模国渋屋郡石河七郎入道道遍也●「予是平氏等」は 我が朝に源平の二氏有り、是武家の根本也是れ共に王孫也●「秩父」は畠山父の時より初れり源左金吾は(左衛門の 唐名也)大将殿は子息なり大炊殿は舎弟也●「聞沙弥蓮生等」は連生は熊谷入道の法名也言く石河禅門幼少にして蓮 生の念仏往生を聞き帰依之想を起すを云う也●上人門人安楽房は是上人の弟子に住蓮房安楽房と云う名僧有り(多念 の名僧也此の二人念仏声明を始め也)然るに隠岐院の時女犯に依る(北御所女房也)と山僧に訴えられ死罪に行われ る。住蓮は佐々木判官密かに之隠す者也云々隠岐院の御歌云々 ●石垣は別所の名也筑後の国也、金光房は彼の別当也奥州は会津と云う処にて殊勝の往生を遂げ畢。本宗は天台宗也 ●「亦請之等」は金光房に請ひ同聞衆と為る也●「玄冬臘月」は冬の終わりを玄冬と云う臘月は是十二月の唐名也、望 日は十五日の異名也、言く十二月に出家し正月十五日に戒を受けるを云う也登檀受戒を受戒と云う也●学徒中一人は 禅門云う山僧堅者と云う学者也何れの堅者は明らかならず云々●「凡古今水火等」は上人の在世を古と云う当世の義 を今と云う師資以て准知すべし云々●「又長楽寺等」は山僧の讒奏に依り上人は讃岐に流され弟子律師は湯山に流罪 云々●「成七萬遍等」は上人初は六萬遍後は七萬遍なり。●「然此等人々等」は善恵上人を幼少と云長楽寺の律師を 後の門人と云う言く上人御念仏六萬遍の時は盛んに法門を談じ其の時善恵上人は幼少の故に相傳も委悉せず念仏七萬 遍後法談を停められ後の律師門人也云々●「一山学侶等」は弁阿上人初は九州に於いて天台の学者為り後本山に登り 證眞に師事す、證眞は上人一室の同行也。弁阿上人舎弟三明房が頓死に驚きて遁世の身と為り明星寺の大衆に勧めら れ彼の寺の旧五重の塔婆を営み其の本尊の為に上洛す。其の間上人に謁す、上人遁世の由来当時の行儀を問う。弁阿 遁世の由来を答えるに所学の初め證眞に遇ひ弟の頓死を見て今塔婆を立て念仏誦経すと。答う時に上人一室に證眞が 門弟の由を聞き召して志厚と為し慇懃に法要を語へり云々  ●「人西往等」は鎮西を指して西と云う弁阿の往生を永亡と云う●為標彼上人」は弁阿上人也言く弁阿上人御作の名義集の事也●親盛法師は上人の御弟子大和前司入道也●「彼人又上人門徒」は然阿上人也●「即以沙門伝説等」は言く沙門然阿の説を聞き我に傳沙門の伝説を以て亀鏡に備えんと欲す亀鏡の因縁外典に在り其意亀の甲もて占する事鏡もて面を見るが如く明也と云う
第二章第一節のうち「縁起2」の分 禅門云う、此の仰せ浅猿事に候。形の如くなれども弊坊一宇田一町進め奉る、争か扶育の義無しとの玉うや。上人云 う、此れは在家の田畠直を以って買得し所也云々。禅門云う、全く其の義に候わず。上人御住宅の後、何の年何の月に 直を給ひしや。上人云う、其の時の用途何貫其時用途何ん百進直に非ず乎。禅門云う、某し尫弱の身と為して鎌倉の 上下是れ常の事也。之を哀て用途を許さる此れ直ひは非ず。上人云う、沙門は貧乏無縁の者なり争か我が身命を閣きて 所領知行の地頭用途を奉る可んや乎。所詮借用の本意は室宅田畠の為歟。故に都て返報の思無し、禅門の意に随い返 すべからざるの義を云う也。時に禅門黙止し畢ぬ。荒見弥四郎兼ねて一町五段の田を進む、或る時不断念仏之志を申 し三町田の約束を致す。上人大に悦で先ず旧家を破過(コボチワタ)して仮御堂を造り大門の左右に六の列坊の地を 造り其の中に性心釈阿弥陀仏速疾に庵室を造り畢ぬ。上人此田を得時衆に配分せんと欲するに既に下種の時に至り寄進 の義無き時に蓮光房と云う者(此乗円理真従父舅也)此の人は所の名主分也。学衆の為の間上人に申して云う、在家 は出家の心と異なるなり。在家の法は田畠を寄進する始めは常法永代の事を期して酒を呑ましめ引出物を取らしむ。 若し弥四郎殿此志有るか乎。此に上人云く、サル意モアリトテ酒を造る処の学衆に肴を仰せらるる時珍物を取り集め ること山の如し。折節酒の味殊勝也。此れは一向に性心が沙汰也。十貫の銭をば地主に与え二貫をば政所三郎兵衛に 与え三貫の銭をば共の人に分與す。政所の云う、今年はアキ処候ハス仍て来年を期せ云々。時に上人恨みを成して云う 、田舎の人は盗人也。仍て鎌倉に住せん志を抽 時に国中の学者終に来たらず、為に人馬等の要事を聞かざるなり。一 物をも残ること無く全く移住せしむ故雑物其数是多し仍て設多(イクバク)の馬を鎌倉に登らしむ。坂東の者には性 心理真明阿其外は大略西国の志ある修行者也。仍て竹負(タケオイヲ)カケ馬の口を引く等也。道路の人怪しみて之 見る鎌倉に登りて玉ナハニトマリ次の朝慈恩房が庵室に行く、慈恩房上人の御事を傳へ聞き一両度状を上人の許に通 じ是を記とする也。慈恩房共にして大仏の浄光聖に遇う、浄光聖の言く志切なりと雖も大栄未だ遂げざる故志の如く ならざるべし。四人の所食を進むべしと一宇の坊を造り雑人等は鎌倉中に至り小家を造り売買す。其後神六入道無常 堂に庵室を造り請け入れて法談有り云々 ●「然遇他門人等」は在阿別して何派と指さざれども多は是れ小坂義歟、其比世間に多也●「加之故上人等」は上は名 義集の義と他流の義と相対して相違を成す必ず上人面授の人を指すには非ず。下は上人の面授を聞きて彼の化導の慿 と為し各各皆上人面授の門弟なりと称す、上人は是一人也法門異徹すべからず、然るに一門の門弟其義鉾楯す之を決す 為に蓮華寺石河に往く上人の一門は誰人と云う事を弁ぜず。問う、何れも上人の面授と称え何ぞ蓮華寺等に至る乎。 答う、余人は上人の面授と称すと雖も在阿は実の事を知らず石河の蓮華寺は上人の面授為る事在阿之知る故に彼に至 りて余人の実譜を糺す也(蓮華寺は遠江国禅勝房也石河の里は相模国渋屋郡石河七郎入道道遍也●「予是平氏等」は 我が朝に源平の二氏有り、是武家の根本也是れ共に王孫也●「秩父」は畠山父の時より初れり源左金吾は(左衛門の 唐名也)大将殿は子息なり大炊殿は舎弟也●「聞沙弥蓮生等」は連生は熊谷入道の法名也言く石河禅門幼少にして蓮 生の念仏往生を聞き帰依之想を起すを云う也●上人門人安楽房は是上人の弟子に住蓮房安楽房と云う名僧有り(多念 の名僧也此の二人念仏声明を始め也)然るに隠岐院の時女犯に依る(北御所女房也)と山僧に訴えられ死罪に行われ る。住蓮は佐々木判官密かに之隠す者也云々隠岐院の御歌云々 ●石垣は別所の名也筑後の国也、金光房は彼の別当也奥州は会津と云う処にて殊勝の往生を遂げ畢。本宗は天台宗也 ●「亦請之等」は金光房に請ひ同聞衆と為る也●「玄冬臘月」は冬の終わりを玄冬と云う臘月は是十二月の唐名也、望 日は十五日の異名也、言く十二月に出家し正月十五日に戒を受けるを云う也登檀受戒を受戒と云う也●学徒中一人は 禅門云う山僧堅者と云う学者也何れの堅者は明らかならず云々●「凡古今水火等」は上人の在世を古と云う当世の義 を今と云う師資以て准知すべし云々●「又長楽寺等」は山僧の讒奏に依り上人は讃岐に流され弟子律師は湯山に流罪 云々●「成七萬遍等」は上人初は六萬遍後は七萬遍なり。●「然此等人々等」は善恵上人を幼少と云長楽寺の律師を 後の門人と云う言く上人御念仏六萬遍の時は盛んに法門を談じ其の時善恵上人は幼少の故に相傳も委悉せず念仏七萬 遍後法談を停められ後の律師門人也云々●「一山学侶等」は弁阿上人初は九州に於いて天台の学者為り後本山に登り 證眞に師事す、證眞は上人一室の同行也。弁阿上人舎弟三明房が頓死に驚きて遁世の身と為り明星寺の大衆に勧めら れ彼の寺の旧五重の塔婆を営み其の本尊の為に上洛す。其の間上人に謁す、上人遁世の由来当時の行儀を問う。弁阿 遁世の由来を答えるに所学の初め證眞に遇ひ弟の頓死を見て今塔婆を立て念仏誦経すと。答う時に上人一室に證眞が 門弟の由を聞き召して志厚と為し慇懃に法要を語へり云々  

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