四十八釜四十八話蒐 第八話「杢平釜」(コノ釜ノナリオトタカシ」のいわれ)                 

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[4z20-4848-8-1]昔、數釜の里に或る夫婦がありました。仲睦ましいのですが、中々子供が生まれません。そんな或る夜、妻は馬を呑んだ夢をみました。翌朝、さっそく夫にそのことを話したのですが「夢の事」として聞き流されてしまいました。しかし不思議なことに妻のおなかは大きくなりだしたのでした。
そうなると、待っていただけに夢の実現と出産のその日を待ち、生まれたのは男の子でした。夫婦はマメに育つようにと「豆衛門」と名付け大切に育て始めました。子供も持って生まれた性質と両親の愛情とで病気一つせず大きくなりました。ここまでなら万万歳なのですが悩みが出てきたのです。
それはスクスクの成長がいつまでも続くのです。たちまち「豆衛門」どころか本当に馬のように大きくなってしまいました。こうなると年頃の娘はいうまでもなく、怖がって誰も友達になる人はいません。「豆衛門」はどこからか太鼓を手に入れて日夜それを叩いて過ごしていました。それも大男のすることで音の大きい事、やかましいことたちまち近所から苦情が続出しました。親達は孤独の豆衛門から太鼓を取り上げるのも可哀想になって、深澤川の「杢平釜」の傍に持って行かせそこで憂さを晴らさせていました。それが「この釜の鳴り音高く聞こゆ」として知れ渡る始めです。
その日も豆衛門はヤケのヤンパチで深澤川の谷底で思いっきり太鼓を叩いていました。その時です。一人ぼっちと思っていたのに撥を持つ手の肩が叩かれました。振り向くと美しい女の人が立っていました。そして
「あなた、太鼓を叩くにしろ、どうしてそんなに訳もなく大きな音ばかり出されるのですかな」とやさしく訊くのでした。
「豆衛門」は体が大きくなって相手にしてくれる者もなく、唯一の楽しみの太鼓もここでなければ叩かせられない悲しみを話ました。女は頷いて
「それはお気に毒のことでした。でも幸い私が良い薬を持っています。それを飲めば体は小さくなります。そしてその後のことを書いた巻物もございます。進ぜてもよいのですが・・・」とニンマリ笑って豆衛門を見つめました。
豆衛門がその薬をもらって飲んだのはもちろんです。ところがです。小さくはなり始めましたがそれが止まりません。とうとう本当に豆粒のようになってしまいました。豆衛門は驚いて
「ナンダコレハ、いくら小さくと言ってもこんなに小さくするとは。元の身体に返してくれっ」とわめきました。しかし女は静かに答えるのでした。
「あなたはですね。前の世で恋のタネを蒔かなかったからですね、来世でないと男女の営みはできないのです。ですから私が今の世でもできるように小さい人間にしてあげたのではありませんか。今夜からは、あなたが好きな女ができたなら、その女と好きな男の懐に飛び込めば男の魂は抜けてお前さんの魂が入り相手の女はあなたの自由自在にできるんですぞえ。巻物もよく読むのですよ」。と言って消えました。
(このあとの展開は次の頁です)
[4z21-4848-8-2]思いがけぬ話に茫然とした豆衛門。でももうそこに女の姿はありません。さっきまで叩いていた太鼓は山の」ように聳え、撥は大木のようです。でもどうしようもありません。女の言った終りの方のことに望みをつないで蚤の跳ぶように深澤川の崖を登って上の道にたどりつきました。
文字通り豆のようになった豆衛門は道沿いの家を戸の隙間にしろ、落ちた壁にしろ、自由に出入りして様子を覗っても誰も気がつきません。そのうち、はたごや(旅籠屋)と思われる軒下に来ました。軒下には立派な駕籠がおいてあって、中で話声が聞こえます。どうやらお伊勢参りの道中のようです。豆衛門は面白そうに思えたので、軒下の駕籠へくぐり込み紫ちりめんの座布団の端の下に寝そべって出立を待ちました。
(お伊勢参りは信仰ですが、当時観光要素も強まっていましたので、泊まり重ねての同行の面白い話が日夜展開されるのですがここにそれを書きならべるのは本旨を外れると思い割愛します)
豆衛門の伊勢参り同行は、それこそ「道楽」でした。それで豆衛門は、いたずらをし過ぎた・いらぬ罪作りをしたものと反省したのでした。
それからは、この小さい身が本当に他人様のお役に立つことがあるならば、と真剣に考え始めました。それから村はずれの或る庵室に、その尼さんを訪れていた時、美しい三十ばかりの人が尼僧の弟子にして下さいと頼みこんできました。そして、その理由というのが
「私はこのままでは子宝に恵まれすぎて、家族共倒れになってしまいそうです。いっそ尼になってその道を絶とうと思います」というのです。その涙ながらの懇願に豆衛門はまだ知らぬ断ち難い愛慾の世界に思いをはせたのでした。そうしてその悩みを絶つのに役立てると思い付きました。
そして、その女の懐に飛び込みました。そして「御用」の時はその場に急行して、子ダネと会わぬよう流れを変えてやりました。その時は相手の喜びに満足するだけで、ほかの気持ちは全くなくなっていました。したがって名も『豆休(マメキュウ)』と改めて目にもとまらぬ小さな数珠を手離さず御奉公専一と務めたということです
(途中の歓楽・遊興の部分を省略しましたのでこの話はここまでです)
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