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2013-02-19T20:20:36+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十九「源三上釜」(幸・不幸の煩悩)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/50.html
[5209-4848-19-1] この付近に小さなお寺がありました。檀家の数も少なく、和尚さんは檀家と同じ様に寺の田畑を奥さんと子供を育てながら暮らしをたてておりました。
こんな時、やはり貧しい一軒の檀家のお婆さんがなくなりました。和尚さんは知らせを受けて通夜の読経に参りました。その家に行って気付いたのは土間の隅にうずくまっている人がいるのでした。読経がすんでから尋ねたところ、それは亡くなったお婆さんの姪で、目が見えず口もきけない障害者だったのです。十五、六歳とのことですがとてもそのようには思えませんでした。
和尚さんは考えました。
「私は仏に仕える身分、こうして亡くなった人があると葬式、そのあとの法事とかで、なにがしかの金や物をいただいて暮らしている。これはみな死んだ人があるからである。お釈迦様は死んだ人よりも生きている人を救えとおっしゃられたではないか。今夜この家に来てこの娘と会ったということも、この生きた人が救えるかとのお釈迦様のひきあわせではなかろうか。ひとつここはこの娘が救えるか、私が試されていると思って育てて見よう」そう思うと早速このことを家の人に話してみました。家族は、一旦は迷惑でしょうからと辞退したいようにも見えましたが、内心ではそうして貰えれば有難いという気持ちも確かに窺われました。
諒解を得た和尚さんは垢だらけ、虱だらけの娘を連れて寺へ帰ってきました。驚いたのは奥さんはじめ子供達でした。今までだけでも貧しかったのに、働くどころか手間のかかる人が増えるのですから家計をやりくりする奥さんは大変はことだったのです。それでも和尚さんの考えたこと正面から反対もできません。娘を風呂に入れ、ありあわせの着物を着せかえてどうにか年なりの格好をさせました。
とにかく、この娘は亡くなったお婆さんが恥ずかしがって世間に顔向けさせず、それどころか監禁同様にしていたので口がきけないのではなく、ひねくれていて言葉があるのを知らなかったので笑うということも知らなかったのです。
和尚さんは妻や子供に気がねしながらも根気つよくその娘に言葉のあることと、その使い方、また世間一般のしきたり・考え方などを教え始めました。
その熱心さに奥さんは自分の子供の教育にもしなかったほどの熱の入れ方を「拾いっ子」にし始めたのでやきもちの火がくすぶり始めました。
娘も盲目でも和尚さんの熱心の教育で言葉を覚え、知能が働きだすと、それからは人の気持ちとはどういうものか判るようになってきました。それで人にはうれしいこと・悲しいことのあることも判ってきました。
そうなると今までなかった新しい課題が出てきました。
それはその娘が教育に熱中する和尚に教育者以外の感覚を覚えるようになったのです。(この感覚の波紋は連鎖していきますのでそれは別紙とします。
[5210-4848-19-2] それと同時に目は見えなくともそうすることによって奥様のやきもちの心も読みとることができるようになったのです。そうすると奥さんの不在が確かめられると和尚さんに
「和尚さんがこのように私の世話をして下さるのが和尚さんのために不幸になりはしないでしょうか」と気を引く言葉を使うようになりました。
「そのようなことはありません」と否定はするものの、その細かい気遣いに和尚さんも師匠以外の心情の湧いたことを内心否定しきれませんでした。
更に理知に目覚めた盲女に寺の長男の心も動かされたのでした。長男は父の不在を見計らって娘の手を取って琵琶を教え始めました。そのことを知った父の和尚は
「このような発育の遅れている娘に愛を求めることは、防ぐことを知らない者の魂を奪う卑怯な態度である」と長男を戒めました。
しかし、その戒めはわが子への戒めであるばかりか自分への戒めであると和尚さんは反省しました。そして盲女への愛は恋愛ではなく仏の思し召しによる障害者への当然の情であると自らを納得させようとしました。そのために娘の身柄を信頼できる檀家の老女に預けて手元から引き離したのでした。一方長男にも咲きかけた愛の蕾を摘むように遠くの本山の修行に登らせました。だが、離されれば離されただけ却って愛情は募って心は接近していくのでした。
そうこうするうちに盲女の存在はあちこちに知られるようになりました。そのうちに和尚さんの知人から娘さんを目の名医といわれる人に診てもらったらと勧める人が現れました。目が見えるようになればこんな幸せはありません。早速その紹介された名医の許に娘を預け治療を依頼したのでした。その結果一月ほどで視力が回復できたのでした。
盲人が一人救われた。関係者の喜びは一方ではありません。寺でも花を飾って帰宅を祝ました。
でも、当の娘が帰ってきて初めて見たものはなんだったでしょうか。娘は何かに怯えているようでした。
娘はその夕方祝の席から抜け出して姿が見えなくなってしまいました。和尚さんは不吉な予感に近所の人を頼んで探し廻りましたやっと見つかったのは深澤の源三上釜でした。大急ぎで引き上げ水を吐かせ、活を入れてやっと息を吹き返しました。気のついた娘は
「私の目はまだ物を見るのに慣れていないので、水までの距離を見誤って足を滑らして落ちてしまったのです」とは言っていました。しかし本当はそこへ身を投げて死のうとしたに違いありません。
娘は見えるようになった目で見るところの人の表情からの精神的打撃は目の見えていた人には想像できぬ大きさであったようです。(このあと娘の述懐があるのですがここの余白にはかききれませんので別紙とします。)
[5211-4848-19-3] 助けられましたが娘の体力は次第に衰えていきました。その中で彼女が語ったことを総合してみますと
「川べりで足を滑らしたというのはウソでした。目の見えない世界では和尚さんの話から世間は美しく思われましたし、周囲も盲者の世界には緩やかでした。医者に見えるようにしてもらって家に帰って初めて奥様の顔を見させていただき、そこには深い悩みの陰が動いているのが見えました。キットそれは私が和尚さんに寄せた恋心のために自らの心に深い悲しみを刻みつけたに違いありません。盲目に甘えて余りにも大胆に恋心を抱いた罪の深さ、恐ろしさを知らされました」といって息を引き取った。ということです。(この話はこれで終です)
2013-02-19T20:20:36+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十八「源三釜」(僧と羅刹の愛欲葛藤)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/49.html
[5205-4848-18-1] 昔「源蔵」という修行者がおりました。あとで判ったのですがこの人は上野(群馬)の生まれで世を捨てて広く修行して歩いていたのですがなかなか満足できませんでした。そこで新しくよい修行の場所を求めて武蔵の当地にやって来たのです。その頃、深澤川の絶壁の中腹に洞窟ができていたところがありました。地元の人は知ってはいましたが薄気味悪がって誰も近寄りませんでした。これを知った源蔵は自分が修行するにはお誂え向きの場所として決めました。
来てみると、なるほど崖の中腹に洞窟がありました。でも穴の前面には上から木の根が下がり、下からはその根に蔓草が巻き登っていて塞がっています。ようやく手でかき分けて入ってみますと天井はじめ周りの岩肌には苔が生えたり枯れたりくりかえしたと見えて五色をなしています。源蔵は
「誠に我が修行の適地」といくらかの枯れ草を集めて敷物としまして経文・呪文を読誦して修行を始めました。その頃、時々は布施を受けるためこのあたりの人家を乞食行脚(コツジキアンギャ)していました。が、そのうち人里に姿を見せなくなってしまったのです。修行が成って帰られたのかそれとも健康を損ねられたかと地元の話題になりました。でもそのうち事情が判ってきました。
「源蔵」(このあとここでは上人(ショウニン)とします)はずっとそこに居て修行を続けていたのでした。ただそこへ、それは、それは美しい女の人が来ては食べ物を置いていくのです。上人も始めは怖れ、訝ったのですが、その味のよさは格別でしたのでこの女の人の供養を受けて修行に専念できるようになっていたのでした。
上人は女の人に
「あなたは、どちらからいらっしゃるのですか。そうしていかなるご身分なのでしょうか。ここは人里とも離れて村人も気味悪がる場所なのに怖くありませんか」と訊いてみました。女の人は平然と
「少しも怖くはありませんよ。もっともそのはずです。私は人ではないのですから。私は人を誑(タブラ)かしたり、時には食うこともある羅刹(ラセツ)女なのです。あなたの読誦する経文の有難さに、自然に呼び寄せられて供養させてもらっているのです」と答えました。上人はこれを聞かされ更に深く感謝したのでした。従って食べ物に困ることはなくなりました。それに経文を読誦していると鳥や猿も洞窟の前に集まってきているのでした。
この時代、地元にも「良賢」という僧がいました(この後、この人を「僧」とします)この僧も陀羅尼(ダラニ)を信奉して各地を巡り歩いているのでたちまち上人のことが耳に入りました。僧は上人を訪ねました。上人は
「これは、これはどなた様でございますか。こんな人里離れた寂しい場所どちらからお出ででしょうか」と訊ねました。僧は
「私も山野を巡って仏道を修行いたしておる者です、ご上人がここを選ばれた由、お聞きしてお伺いした次第です。ところで、ほかにどのような方が御見えになるのでしょうか」と訊ねました。
(その答えとその後のことは次の頁です)
[5206-4848-18-2]上人は、ここに住みついた時からのことを詳しく話してやりました。しかし、僧は女の人が来ると言う上人の話に不審を持って
「ここは、人家も遠く寂しい所、それなのにそのような美麗な女人がどこからこられるのでしょうか」と訊きました。しかし上人は「私はどこから来るのか知りません。法華経を読誦するときに見えるのですからそれがうれしいんでしよう」と答えるだけでした。
この上人の話に僧は納得できませんでした。キットこの美人、鬼が変身したりして偽って、本当は近在の女が食べ物を持ってきてくれているに違いないと判断したのでした。と同時に忽ちその女に愛慾の心を起したのでした。
羅刹女はこの僧の変心をひとりでに知り、上人に告げました。「破戒無慚の者が寂静清浄」の所に参りました。現に罰を与えて命をとりましょうか」と言うのです。上人は
「厳罰を与えるのは良いでしょう。しかし殺してはなりません。それよりも邪念を止めさせて「真人間」に返してやりなさい」と諭しました。
女は上人の勧める言葉に従って端正美麗の姿から忽ち憤怒暴悪の形相に変わりました。僧はこれをまのあたりにして怖れ戦くこと限りありませんでした。怒った女「羅刹女」はこの僧を人里にひっさらって行って放りだしておきました。
僧は暫くは気を失っていましたがやがて気付くと
「ああ、なんて恥ずかしい事だろう。私はまだ凡夫の身を離れられなかったために仏法守護の羅刹女に愛慾を起してしまった。誠に慙愧の極みである」と懺悔したのでした。僧はここで改めて仏道修行の願を起し経文読誦も一心不乱に、その行を再開したのでした。
思えばこの話はすべて僧の愚痴が引き起こしたことでした。一方暴悪の羅刹女も仏法守護の善神であり、終いには迷える僧を真人間に導いたのでした。
ところでこの洞窟の真下の釜{甌穴}が「源蔵釜」と呼ばれるようになったのですが、文字で書く時はいつからか「源三」で間に合わせ、呼び慣わされるようになりました。
(この話はここまでです)
2013-02-17T16:09:53+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十七「矢倉下釜」(狐憑きの持っていた玉)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/48.html
[5203-4848-17-1]
平成の現在、甌穴(オウケツ)としての「矢倉下釜」の存在は特定できませんが、下流に「崩れ釜」、上流に「源三釜」の間ですので歴史館から 鉢形城の桜「エドヒガン」への近道で深澤川を渡る橋の前後遠くない所と推定できます。
さて昔、この近くの家に狐に憑(ツ)かれて病気になった娘がありました。その娘は
「わたしは狐だ。ただ祟り(タタ)をするためにこの家にきたのではない。ここにはいつも食べ物があるのでそれをいただいていたら、突然閉じこめられてしまったのさ」と言って、懐から小さな蜜柑くらいの玉を取り出してお手玉として遊んでいました。家族も病気の娘がいつ、そんな玉を手にいれたか知らず、狐が人を騙すために持ってきたのか不思議に思っていました。それにしても綺麗な玉でした。
或る時、近所の若者が、その家を訪問した時、その娘はその玉でお手玉をしていました。その若者は娘が投げ上げた玉が娘の手へ落ちてくる前の瞬間、素早く手を出して横から玉を握って自分の懐に入れてしまいました。狐に憑かれた娘は
「なんてあなたはひどいんですか。その玉、返して下さいヨ」としきり頼むのですが男は聞き入れません。娘は遂に泣き出しましたそして
「あなたはその玉を持っていても使い方を知らないから役には立ちません。わたしはそれがないととんでもない損を蒙るのです。だから返してもらえないとこれからずっとあなたの敵となります。そのかわり返していただければ、あなたの守り神となって、命の限りお守りしましょうニ」と言いました。男は持っていても意味がないと気づくと
「それではキットこのわしを守ってくださるか」と念を押すと
「言うまでもありません。キット守ります。私達は人間と違ってウソはつきませんし、受けた恩は絶対に忘れませんから」というのでした。男は懐から玉を取り出して娘に返しました。娘は大層喜んで受け取りました。
このような狂乱状態を心配した家族は、すぐた祈祷師を招いて、娘の体から狐の「送り出し」を頼みました。祈祷の熱が入ってくると娘はスックと立ち上がりフラフラと歩き出しました。
「キツネどこへ行く」と家族は後を付けました。ちょうど大丸釜の上にきたところで娘はバッタリ倒れました。後を付けていた人が「アッ、倒れた」と娘を注視したとき、下の釜にボチャーンと何か水音がしました。家族は娘を助け起し、肩をかして家に連れて帰り介抱しました。
娘は正気に戻りましたが玉の事は知りませんし、玉は懐にも通った道にもありませんでした。ただ大丸釜からはずっとあとに玉が上がって長久院の寺宝にしたという話が生まれました。多分あの時の娘の持っていた狐の玉だったのかとも思えますが証拠はありません。(この話はこのあと娘に玉を返した若者のことに発展します)
[5204-4848-17-2]
一方、狐が憑いていた時の娘に珠を返してやった若者は、或る時、秩父へ用足しに行き、帰りが夜になって釜伏峠を越えてくることになりました。途中でひどく恐怖心に襲われてきました。男は
「そうだ、俺を守ってくれる狐がいたはずだ『おーいキツネ。おーいキツネ』と呼んで見ました。すると
「はい、ここにいますよ」と言わんばかりに
「コン・コン」と鳴いて聞かせました。
「オー、狐よ。本当にウソをつかなかったナ。感心するよ。俺は家に帰るのだが、なんだか怖くてならないんだよ。送ってくれよ」と言うと狐は
「わかりました」というように振り返り・振り返り先にたって行きます。男は後をついて行きましたが、途中で脇道に入りました。へんだなとは思いましたがついて行きますと、今度は狐が立ち止り、後ろを向いて男に目くばりして、背を曲げて抜き足の格好をして歩き出しました。男も真似をして抜き足・さし足でついていくと広い道で人の気配がします。そこから刀が触れ合うような音が聞こえます。どうやら「追い剥ぎ」の準備をしているようです。
「ああ、狐は追い剥ぎに遭わぬよう脇道を通してくれたのだな」とすぐに判りました。
そこを通り過ぎると元の広い道に出ました。ホッとしたときには狐の姿はありませんでした。でも家も近付き恐れも薄らぎ無事に家に帰り着けました。もし病気の娘とのやりとりの中で、玉を返してやってなかったら・・安心の中にゾーとしたということです。(この話はこれでおしまいです。)
2013-02-16T11:27:42+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十六「崩れ釜」(山上の石に血の現れる時)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/47.html
[5123-4848-16-1]
このあたりでは「崩れる」ことを「クイル」といいます。土砂崩れなどです。數釜四十八釜のなかにも『崩れ釜』があります。でも単に『クイマ』と言えば通用します。しかし、今クイマと言って水の溜っている所は山だったというのです。
その山の上には大きな石がありました。山上ですので人々は神様の拠り所として、畏敬して無闇には近寄りませんでした。それで夏は蔓草、冬は枯れ草に任せた殺風景でしたのに唯一人毎日来る人がありました。それはこの近所に住む八十とも思われるお婆さんでした。このあたりではこの婆さん以上の年寄りはいませんので、いつから来ているのか知っている人はいません。皆が知っているのは雨が降っても、雪が降っても風が吹いても、雷が鳴っても氷の冬も暑い夏も一日一回欠かしたことのないことです。
或る夏の暑い日でした。地元の若者たちが石のある山の麓で汗を引っ込めていました。そこへ婆さんがやってきました。杖をつき、曲がった腰をさすり若者たちの前で一呼吸して汗を拭って
「暑いですノオ」と言って、も少し先の石の所へ登って行きました。若者たちが上向きざまに見ていると、石の前と思われる向きで立ちとまりましたが、それ以上拝むような格好もせずに石を一回りして下りて来ました。再び若者の前に来て
「ご精が出ますなあ」と言ってまた来た道を帰って行きました。
それを見ていた若者の一人が
「あの婆さん、たいして拝むでもなく毎日毎日何しに来ているのかなあ」と言いだしました。もう一人が
「きっと、あしたも来るから訊いてみようや」ということになりました。
翌日、若者たちは昨日の所で待っていました。やがていつものように婆さんは来ました。そして若者に声をかけて山に登り石を廻って下りて来てまた若者の前に戻って来た時、若者が声をかけました。「お婆さん、お婆さん。お婆さんはこうして毎日寒土用欠かさずここへくるようですが何か訳があるんですか」と質問しました。お婆さんは
「お若い皆さんには、さぞおかしいと思われましょうナア、それはナア石を見にくるんだよ。それはわしがもの心ついたころからだから七〇年もたつかねえ」と言いました。聞いたもう一人の若者が
「そのさ、どうして見に来るかちゅうことを婆さん教えて・・」と頼みました。
「そうかい、聞いて下さるかいの」婆さんは若者と向き合って腰をおろし話し出しました。
「わしの親はナ、百二十で死んでナ、爺様は百三十だったとよ。その親は二百迄生きたそうよ。その我が家に代々言い継がれていることはナ『ここの山の石に血がついた時、この山は崩れる』と言うんだ。わしらここに住んでいるんで山崩れに巻き込まれたら大変だろうがノ。だから血がついたら早く逃げなくっちゃあと毎日見にきているんだよ」と答えました。(聞いた若者たちの反応は頁を改めます)
[5124-4848-16-2] 聞いていた若者たちは「そんなこと起こるもんか」と心の中では笑っていましたが折角言わせたことでもあり
「恐ろしいことですねエ、崩れる時には俺らにも教えてネエ」といいました。婆さんは笑われているとも気づかず
「そうとも・そうとも、老い先短いわしが独りで逃げたとてどうしよう。話すともサ」と真顔で言って帰って行きました。
婆さんが帰ってあと、若者たちは顔を見合わせました。一人が
「あの婆さん、今日はもう来ないだろうがあしたはきっと来るだろう。一つ脅かして見るか」と」言いだしました。
「そいつは面白いだろうな」と決まりました。若者たちは赤い血のような汁の出る木の実をうんと採ってきて潰し、石に塗りつけ、そのことを村人にも話しました。
さあ、翌日婆さんはそんなことは露知らず、いつものように石を見に登ってきました。と、どうでしょう。石にべっとりと血がついているではありませんか。婆さんは血相かえて曲がった腰をうらめしそうに走りながら
「みなさん、みなさーん。早く逃げて。山が崩れるよオ」と叫び続けました。家に着くや子供らを連れて逃げました。
若者たちは手を打って笑いました。村人も噂でざわめき空模様が変わったのに気づきませんでした。空は忽ち暗雲に覆われ、一陣の妖しい風とともに稲妻と雷鳴と同時でした。その時です。」あの石のある山が揺るぎ出しました。
「あッ・アッ、ア」と言う間もなく山は崩れて深澤川を埋めました。折から降り出した雷雨は西の入りから濁流となって押し寄せダムのようになりました。でもそのダムは「堰を切ったように」崩れ下流を押し潰し、押し流して行きました。
その後、婆さんとその家族の無事は判りましたが若者たちのその後は伝えられていません。現在のクイマの水面は穏やかですがそこへ映る岩肌は荒々しく往時が偲ばれます。
(この話はここまでです)
2013-02-16T11:23:20+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十五「渡り釜」(狼のなやみ)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/46.html
[5121-4848-15-1] 十五番目は「渡り釜」ですが、本当は「渡り釜」を見降ろす小さな洞穴がこの話の舞台です。その洞穴に一匹の狼が棲んでいました。この狼は日ごろは人の飼っている鶏などを獲って食っていたのでした。
或る年、雨が降り続きました。人は鶏を小屋の外へ出しませんでしたので、狼は捕まえることができません。狼は困ってあちこち歩き廻って、とうとう七つの村を巡りましたが鶏は小屋の中、人は炉端にいて近寄れません。とうとう空腹のまま棲みかの穴に戻ってつくづく思うのでした。
「俺は今まで鹿や鶏は勿論、時には自分より大きい牛や馬さえもくらいついて殺してきた。これは自分の欲を満足させるためで他者を悩ますばかりで、慈悲など少しも考えなかった。これでは全く天の道に逆らうことだった。今はその報いで七つの村を巡っても食物にありつけなかったのもきっとその所為に相違ない。とするならもう悪い事はしないに限る、これからは俺もやさしい獣となって、一切他の鳥や獣を傷つけることなく世を渡ろう」と決心しました。そして
「これからは一切の他の鳥や獣を傷つけることなく、みんなを安心させます。もうひどいことはいたしません」と約束の祈りをして棲みかの中にキチンと座って欲を鎮めようと座禅している格好は凶悪な獣ながら神妙に見えました。
ちょうどその時、天の神様は地上に下りて来てあちらこちら廻り歩いて、どんな人が善い事をしているか、また悪い事をしているかと調べていました。そして目にとまったのが崖の洞穴の中で目を閉じてじっとしているものの姿でした。誰だろう・何だろうとよく見ると、あのいつも行き合うもの、目につくもの誰彼かまわず咬み殺して食ってしまう狼でした。そして神様は「神通力」で狼の気持ちを見抜きました。
「人間だって及びもつかない心がけなのに狼が立てるとは」と神様は感心したのですが、そこはさすが神様
「だが、待てよ。あの狼のこと、見せかけだけでウソかも判らぬ。試してみなければ判らないぞ」と疑って狼の好物である鶏に化けて「こっこっ」と鶏の鳴きあう声を出してみました。その声に狼は
「今、鳴いたのは鶏か」とソッと目をあけてみると太り具合、年の頃合い一番うまそうな鶏です。
「ああ、なんてうまそうな鶏だなあ、うまそうだなあ」とのどがなり、口にはよだれが出てきました。しかしです。
「おかしいぞ。俺が善い心を起したとしてもこんなに早く鶏が現れるなんて、さきほど七つの村を廻ったのに一羽の鶏にも出会わなかった。それなのに誓いを立てるとすぐ鶏が出てくるとは。もしかしたら、これはこちらが見つけに行くのではなく、向こうから食われるようにやってくる。これが善い心を起したためか。うれしや・ありがたや、食事が出てきたのだから、今はまずこの鶏を食ってそのあとでまた新しく誓いは立てよう」とスック立ち上がり鶏に近づこうとしました。(このあとのアクシデントは次頁です)
[5122-4848-15-2] しかし、鶏はもともと鶏ではありませんから、たちまち鷲や鳶と同じ様に空中に飛び上がりました。地上では怖れるものない狼でも空中では手も足も届きません。只、牙をキリキリ咬みならし、耳をピクピクさせ吼えかけましたがどうしようもありません。しかたなく狼は元の所へ戻って座りなおし自分の心の定まらなかったことを慙愧し、もう悪事はしないと改めて思ったのでした。
一方、神様は狼のこの様子に今度は本当に心が定まったのか、もう一度試してみなくてはと思われて、今度は足を怪我している兎となって穴のまえをヨチヨチと通りかかりました。狼にはその足音からすぐに兎の来たことは判りました。細目で見ると確かにそうです。しかし
「さっきは、腹が減っていたので目に鶏と見えて獲り逃した。今度来たのは本当に兎だろうか。よくよく見定めないといけない」とはやる心を抑えて、耳・毛・足・尾と見つめました。それでどう見ても兎です。確かに兎となるとまた口の中に唾が出、よだれとなって口の外まで流れ出るのを止めることができません。たまりかねて跳びつこうとするとその兎は逃げるどころか忽ち大きな虎になって、あべこべに狼に向かって来ました。その勢いに狼は慌てて穴に逃げ帰りました。虎は大きくて穴へは入れず穴の外から睨みつけていました。狼は
「アア危なかった。兎と思って俺が食おうとしたら、あべこべにこっちが食われるところだった。そうだ。俺の心を試しているんだな。今度こそ、まわりのものを襲うのは止めよう。止めるぞ」と強く自身に言い聞かせました。
そこで神様は、またまた子羊となって狼の穴の前に現れました。今度は狼が怒りました。
「たとえ、そなたが肉の塊となって鼻の下まできても食わないぞ」と上下の歯をしっかり咬みあわせたまま、ギリギリと音をさせても口は開きませんでした。羊はなおも穴の前にじっとしています。狼はイライラしてきましたが
『追はばまた狗とやならん羔(コヒツジ)を食はまく思ふ心起して』
『追へばまた鳥ともなろうこの羊、食いたく思ふ心起して』と食いたい心はヤマヤマだけれどもそこは我慢のしどころと自分の心を強く抑えつけました。
『捨てぬれば誰にか何の迷ふべきわれを迷はすわが心をば』
『いまいまし我を迷はすわが心今は捨てたり ためさるるとも』とうたってその羊を追うことはありませんでした。
(この話はこれで終です)
2013-02-15T19:17:26+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十四話「天狗釜」(龍と天狗の対決の話)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/45.html
{5119-4848-14-1) 昔、深澤の釜の一つ「天狗釜」に一匹の龍が住んでいました。この釜は深く、他の多くの魚達も一緒に住んでいたのでした。或る日この龍は日なたぼっこがしたくなりました。でも龍の姿では気がひけるので、小さな蛇の姿になって大土手の日だまりにきてとぐろをまいて居眠りをしていました。
この大土手には何百年たったか判らない榎の大木があってその太い幹は腐り始めてもう洞穴が出来ていました。この洞穴には天狗が住んでいました。この天狗もよい日和に誘われて鷲(ワシ)の姿でそのあたりの空を散歩していました。そのうちに土手の日だまりに居眠りしている小蛇を見つけたのでした。鷲は急降下して蛇をつかまえるやたちまちまた空へ舞上がりました。龍なら力が出るのですが何分小蛇でいるところを急に襲われたのでどうすることもできませんでした。でも鷲が地上へ降りて蛇を掴んで引き千切ろうとしたときは、残っているありったけの龍の力で抵抗したので鷲はその時には食うことができず、棲みかの大木の洞穴に閉じ込めておきました。
たとえ小蛇でも元は龍の身ですので「一滴でも水さえあれば龍に戻れて空だって飛べるものを・・・今ここで死んでしまうのか」と洞穴の中で歎いていました。それから数日たちました。この天狗、今度は人を捕まえようと人家のある方へ飛んでいきました。大きな木の梢に止まってあたりの様子を窺うとその下はお寺のようです。折しも小僧さんが縁を通って用足しをしてまた縁に戻って水瓶を傾けて手を洗おうとしていました。と、その時、鷲は木から飛び下りざまに小僧さんを引っ攫い、そのまま龍を閉じ込めた大木に戻って、龍のいる洞穴に小僧さんもほうりこみました。小僧さんは瓶をもったまま何が何だか分からず忙然としていました。
そのうち小僧さんは寺で修行している人間です。真っ暗ですが落ち付いてみるとどこかに閉じ込められているのに気づきました。
「ああ、私の天命はこういうことであったのか」と小僧さんは歎きました。その時、暗闇の中から
「あなたはどなたですか。どこからこられたのですか」と言う声が聞こえました。小僧さんは
「私は、この先の寺の小僧です。用足しをして縁先で手を洗っているところを攫われてここに入れられたのです。それよりもそういうあなたはどなたですか」と訊き返しました。龍は
「私はすぐこの先深澤の天狗釜に棲んでいる龍です。蛇になって日なたぼっこしているところを天狗に攫われてしまったのです。あなたをさらったのもきっとその天狗ですよ。ここは狭く暗くどうしようもありませんが私はもともと龍です。一しずくの水さえあればどうにでもなれるのですが、と思っているのです」と言いました。これを聞いた小僧さんハタと手を打ち
「そうだ、この瓶に水が残っているかも」龍も喜びました。
「有難い。(この後の展開は頁を改めます
(この話はまだ続きます。)
{5120-4848-14-2)
「有難い。私も今まで生きて、ここで命終わるかと思っていたのに、幸いあなたに会えたことでお互いに助かれるでしょう。水一滴さえ残っていれば、必ずあなたも元のお寺へお返しします」と言いました。
お互い喜びあって水瓶を傾けて見るとほんの一滴ばかりですが残っていました。それを確かめた龍は、小僧さんにいいました。
「決して心配することはありません。あなたは目をつぶって私の背中のおぶさって下さい。このご恩は後の世までも忘れません」というと、人の姿になって小僧さんを背負って洞穴を蹴破りました。その瞬間、百の雷が一度になったかと思われ、空」はまっ暗く、雨は滝のように降ってきました。小僧さんは胆をつぶし身震いして恐れましたが、ただ龍を信じて背負われた形で念仏するだけでした。でもそれも僅かの時間で忽ちもとのお寺の縁先に下ろされたと思ったその時にはもう人の姿はありませんでした。
そのお寺では、この激しい雷雨にお寺に落雷するのではと雨戸をしめて籠っておりました。そのうち一段と暗くなったと思った次の瞬間、急に明るくなりました。あっと驚いて雨戸を開けてみてまたびっくりしました。きのう急にいなくなって大騒ぎした小僧さんが縁に居るではありませんか。お寺の人達は不思議がって尋ねました。小僧さんは昨日からのことを詳しく話しました。これを聞いた人々はみんな驚き、不思議がりました、
でもこの話はまだ続きます。龍は名誉を回復しましたが、一時のしろ天狗にうけた辱めをいつか晴らそうと天狗の隙をつけ狙いました。そのうち法師の姿で道を歩いているのをみつけて、そっと近づき強く蹴飛ばしました。法師の片腕は折れてしまいました。それで鷲になって人を攫うようなことはできなくなりました。また龍に助けられた小僧さんは修行をつんで立派な和尚さんになられたそうです。(この話はこれまでです)
2013-02-15T08:58:47+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十三話「松樹釜」(松に飛ぶ赤い着物)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/44.html
&bold(){「5117-4848-13-1」}
四十八釜の一つに「松樹釜」というのがあります。この釜は崖上に大きな松の木がありましたのでこの名がついています。この松の木にはいろいろな言い伝えがあるのです。
最初は平安時代のある年、八月十七日の夜のことでした。八月十五日が十五夜ですのでその翌翌夜のことですから月の出は遅くなりますが、出ればまだ明るいです。折しも若い三人の女が松の傍らの道を歩いて来ました。すると松の木の陰から一人の男が現れて女の一人を松の木陰に連れて行って何やら話始めました。二人の女はじきに話が終わるものと待っていたのですがなかなか帰って来ません。暫くして話声が止んだので近寄ってみました。なんとそこには女の手と足しかありませんでした。驚いた二人は血相かえて役人の武士に報告しました。武士もおっとり刀でとんできましたが二人の女の言うとおりです。連れ出した男の正体は判りません。こうなると「鬼が人に化けて女を殺して食った」のではないかと噂が広まりました。そうして若い女は見知らぬ男に気を許してはならないと誡めあったのでした。
時代は流れてここ數釜岡に武士が住みつくようになりました。松はますます大木になって聳えていました。そこへ
『黄昏どきに赤い単衣の着物だけがひらひらと飛びだして松の梢に引っ掛かる』という話がでました。その様子は何となく不気味で、人々は恐れをなして明るいうちに雨戸を閉め目に触れないようにしていました。
城を守る武士の仲間にもこの噂は伝わりました。一人が
「いくら松が高いと言ったって限りがある。俺の弓ならそのくらいきっと射落せるぞ」と自慢しました。仲間は
「何を言われる。相手は神か鬼だか判らないんだぞ。射落せるもんか」とけしかけます。そういわれれば言われるほど気負い立つのも若者の特徴でしょう。
「なあに、俺ならきっと射落してみせる。見ていろ」と捨て台詞のように言ってしまったので引っ込みはつきません。
言いだした男は、日の入りの頃から松の木の傍らにきて梢を見上げ、矢を射るのに恰好の足場を見つけてじっと待っていました。折しも、川端の竹藪から赤い単衣がスーと飛び出しました。そうしてヒラヒラと松の梢目指して飛び始めました。男は「いざ見参」とばかりに雁股の矢を番えて満月のごとく引き絞ってヒヨウと放ちました。矢は狙い違わず単衣のまん中部分につきささりました。しかし単衣は矢が突き刺さったまま飛び続けて梢のてっぺんに、ひっかかりました
「畜生」男は叫びましたが答えはありません。ただ矢が命中したと思われる真下の地面に血が滴っていました。この話を聞いて、さきに言い争った仲間は
「本当に射たのか」と一面勇猛に驚き、反面無謀に戦いたのでした。
はたせるかなこの射た男、気分が悪いと急に寝ついたままどんどん容態が悪くなりとうとう死んでしまいました。
(この後は次頁です)
&bold(){「5118-4848-13-2」}仲間は、人は命以上に大切なものはない。無闇に勇ましさを見せようとして、つまらぬ死に方をしたものよ。と語りあったということです。
その後も雨宿りして雷に打たれた人がいた時も、非業の死を遂げた人の怨霊が招いたのかもしれないと怖れられていました。
それから時は流れて天正十八年、 鉢形城の攻防戦が起こりました。この時はもう鉄砲が出来て鉄砲玉(弾丸)が松の木に当り幹にも食いこみました。そして『国破れて山河あり』で 鉢形城は開城という敗北でした。でも松の木は残り、さらに生長し続けました。その巨大な幹は、今度は寺の建築材に目をつけられました。そうして三百年ほど光弘寺の大屋根を梁として支え続けました。それも百年ほど前、建て替えられ古い梁は新しい寺の庇に煤けたまま放りこまれていました。近年になってその煤けた木材の趣きから製材して机を作ろうとした人が鉋がけにその刃がこぼれるのを不思議に思いよく調べたところ松の幹に鉄砲玉が食いこんでいたというのです。これをきっかけとして田山花袋の『武州鉢形城』は書き出され近代文学の一つの流れの源流になっているのです。
(この話はこれまでです。)
2013-01-23T15:09:24+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十二話「中上釜」 (魚になった男の話)
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[5114-4848-12-1]
昔、このあたりに一軒の農家がありました。この家の主人は応右衛門と言いますが周囲は「応」と簡単に」呼びあっていましたので、この話も「応」とします。この応は絵を描くのが好きでして、好きなだけに上手でもあり、暇さえあれば、というか暇を作っては絵を描いていました。その応の描く絵は山や川の風景ではなく動くもの、つまり鳥や魚が得意でした。いつぞやも縁先で、庭で遊ぶ鶏を写生していて、用事でそのままそこを離れたら本物の鶏が絵の鶏に喧嘩を吹っ掛けたといいます。とりわけ絶品は魚でした。応はちょくちょく深澤の釜の縁に来て泳ぐ魚をスケッチするのを楽しみにしていました。また深澤や荒川から魚を獲って来た人があると、その魚を譲りうけ、丁寧に写生しては釜へ持って行って放してやっていました。応は絵に熱中した晩などは、夢の中で水に入り魚と一緒に泳ぎ回ると言い、その時の魚を目が覚めると直ぐに絵にしたのが本物そっくりに生き生きと描き出されていました。となると自然に欲しがる人もでてくるのですが、鳥や獣の絵はくれるのですが魚の絵だけは手放しませんでした。そして「魚を食うような人には、わたしの育てた(本当は描いたのですが)魚は決してあげられません」と冗談をいうのでした。
或る年、応は病気になって七日目に目を閉じ、息をしなくなってしまいました。驚いた家族、親類は死んでしまったものと歎き悲しんだのですが、胸のあたりに少し温かみが残っているので「もしかしたら」と見守っていた三日目、手足が少し動いたようです。とそのうちに長い息をしたかと思ったら目を開きました。応はあたりを見まわして
「私は人間社会を忘れていた。あれから何日たっているのかな、第一今日は何月何日なんか」と尋ねました。この寝惚けたような質問に周囲の人は驚きました。中の一人が
「あんたは三日前に息を引き取ったんだよ。それでこうしてみんなで葬儀の相談しているんだが、あんたの胸にぬくとみがあるんで納棺しないで待っていたんだよ。とにかく葬式しないで良かったなあ」と他の人を振り返りました。同席の人々も「よかった・よかった」を繰り返して喜びあいました。
応も事情が判ったらしく大きく肯きましたが
「ところで誰でもいいから直ぐに平助さんちへ行ってくれないか。そして『応が生き返った。今夜の酒宴は止めてもらいたい。酒の肴つくりもよしてすぐここにきていただきたい。珍しい話があるのだから』と頼んでくれ」といいました。生きている者も知らない平助の家の様子を、死んでいた者に判るのかと不思議に思いながらも行ってみると、確かに親類・友人集まっていて家族は勝手・井戸端とあわただしく行き来しています。確かに何か御馳走の準備のようです。そこでは使いの者の話に訝りながらも承知して応の家にやってまいりました。 応は枕から頭をあげて酒宴を措いて来て貰ったことへの禮を述べ、平助も応が生き返ったことへのお祝を交わしました。そして平助に質問しました。
「(この内容は頁を改めます)
[5115-4848-12-2] 「ためしに私のいうのを聞いて下さい。あなたは今夜の酒宴の肴にしようと文四に魚を頼まなかったですか。」平助は驚いて
「確かに頼んだがどうしてそれを・・・」続けて応は
「文四があとで一尺余りの鯉を籠に入れてお宅の門から入った。あんたは友人と碁をうっていた。そばで子供が桃を食っていた。あんたは文四が持ってきた籠の中を覗きこみ満足そうにして残っていた桃をくれた。そして勝手へ持っていくよう言った。どこか違っていますかね」平助は勿論、そこに居合わせた人達は死んだと思われて三日、病気だったのが七日、ずっと寝ていてよくもわかり、それが違っていないことを不思議がりました。そしてどうしてそんなことが判るかと、応に訊きかえしました。
応は語り始めました。
「私は病気になって苦しく、我慢できなくなってとうとう自分が死んだのも知らずに、熱っぽいのを冷まそうと杖にすがって門を出たのです。すると病気のことも忘れられ、籠から放たれた鳥はこんな気持ちなのかと思えて山でも里でもどんどん行けてそれは楽しい。そのうち大きな池のようなほとりに来ました。水面には周囲の木々の緑が美しく映っています。夢見心地とはこういうのでしょうか。水に入ってみたらという気が起こり、衣服を脱ぎすてて、身をおどらせて水に跳び込みました。泳ぎは得意ではなかったのですがスイスイ泳げます。でも人間であるので時々は水面に顔を出さないと息が苦しくなります。私は魚をうらやましくなりました。
その時一匹の大きな魚が私の傍らに泳いできて
『あなた様ののぞみをかなえさせるのはやさしいことです。少々お待ち下さい』と言って深い底の方へ泳いで行きました。そのうち冠をつけ、きちんと装束した人がさっきの大魚にまたがり、多くの魚を連れて浮かび上がってきて私に言ったのでした。
『海の神様にお伺いしましたところあなたは平素、獲られて死んでしまうべき魚を買いとって度々釜に放してくれた。その放生の功徳によって、魚のように泳ぎたい希望をかなえてやる。そこで仮に鯉の服を授けるによって存分に水中世界を楽しみなさい。ただ充分に注意することは人間の誘ううまそうな餌です。それに惑わされて、釣りの糸にかかって身を亡ぼすことだけはなされないように』と言って姿が見えなくなりました。あまりの不思議さに自分の体を見回すといつの間にか金色の輝く鱗を持った鯉になっていたのです、尾を振り、鰭(ヒレ)を動かすと自由に泳げます。時々水面の顔を出す必要はありません。私は今夜「中下釜」明日は「中上釜」と訪ね回り、そこのウナギやナマズにも今迄の経験やら、現在の世相やらを語りあいました、
ところが、そのうちに空腹になって食べ物が欲しくなりましたあちこち探してみましたが見つかりません。すこしヤケ気味になっていたところ目の前に現れたのが文四の餌でした。それは実においしそうでした。しかし神様の『釣糸にかかって身を亡ぼすな』の忠告が甦りました。(この後は頁を改めます)
[5116-4848-12-3]
私は忠告を思いだし一旦はそこを離れたのですが、やはりほかに安全な食べ物はありません。腹はますます減る。さきほどの所に戻ってみると餌はまだ残っています。私にはガマンができなくなりました。よし餌だけ食って針にはかからないぞ、と餌に食いつきました。しかし私の考えが浅かったのです。針を出す時間もあればこそ文四はぐいと糸を引き、その瞬間針は私の上アゴに深く刺さってしまいました。私は籠に入れられ平助さんの家に持っていかれました。その時、平助さんは碁をうっていて子供が桃を食っていたのです。それで私は勝手に回され、その途中大勢が籠を覗きこみ『これはでっかい』『こいつは素晴らしい』と歓声をあげていました。私は
『皆さん、私は応です。お許し下さい』とありったけの声で叫んだのですが、皆素知らぬ顔で笑っていました。
その内、右手に包丁を持った人が左手の指で両方の目を強く抑え俎板の上にぐいと押えつけました。私は『助けて下さい。助けて』と絶叫したのですが聞こえなかったようです。目は押さえられて何も見えないのですが、包丁を持った右手が私の体に近づいたようです。
『アッ切られる』と思った瞬間に私は夢から覚めたのです」と言ったのです。
聞いていた人達は感心したり、不思議がったりしました。平助の家から来た者は「確かに度々鯉が口を動かしていました。声は聞こえませんでしたがそれにしても不思議ですね」と言い、急ぎ家の帰ってその鯉を食うのを止めさせ、人に踏まれることのない場所に埋めました。
応はその後、病気も治り長生きしたようですが応の描いた魚の絵は応が釜の水面に浮かべたところ魚は絵から抜けだして泳いで行ったと言います。それなので応の魚の絵は一枚も残っていないのだそうです。(この話はこれで終です)
2013-01-22T16:34:28+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十一話「中下釜」 (みいらの妻と語る)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/42.html
[5110-4848-11-1]
昔、このあたりに住んでいた身分の低い役人の話です。でもこのころはどんな事情か失業状態で、当然暮らしは貧乏でした。
そんな時、お上(カミ)の人事異動で役人が変わりました。ここの失業役人は新任の役人と少し知りあっていたので就職の斡旋を頼んでみました。その人は前から彼を気の毒に思っていましたが役に就いていなかったのでどうしようもなかったのです。でも今度は
「そなたに合うような仕事ではないかも知れんがな」といって仕事を示しました。失業で貧乏していた彼は何はともあれ
「まことにありがとうございます」と、すぐに応じることに返事をしました。
ですが、この人には長年連れ添っている妻がいました。この妻は容姿ととのい、気持ちも優しかったので、この妻がいなければ今迄の貧乏暮らしに耐えられなかったと自身でも思っていました。ところが新しい任務はどうしても泊りがけが多く必要なのです。互いに離れ難いとは思うのですが、貧乏暮らしが沁みついた妻は、見知らぬ土地について行くのもためらわれて、家に残って単身赴任ということになりました。そうなるとやはり任地での生活の不自由と寂しさに襲われたのでした。そこへ現れたのが裕福な家庭の女でした。この女の人が何やかやと面倒をみてくれるようになって、実際は妻同然となり、家郷の女は名ばかりの妻となっていったのでした。
こうして勤務先では不自由どころか、新しい気分で満ち足りた生活を送っていたのですが、そのうち郷里に残した妻がむしょうに恋しくなりました。
「早く帰って顔を見たいな。今頃どうしているかなあ」そう思い出すと居ても立ってもいられない気持ちになって、寂しさだけが身に沁みて日を送っていました。それでもようやく任期満了の日が来ました。
「俺は、これという理由もなく、あの女を捨てたようなものだ。帰郷したら、さっそく妻の元は行って一緒に住もう」と決心して、任地の女は実家へ返して、まっしぐらに郷里に帰り旅装束のまま元の妻と暮らした所へ駆けつけました。
家に戸はあいていました。入ってみると中はすっかり変わっていて、荒れはてて人の住んでいる気配がありません。これを見るにつけ可哀想なことをした後悔と心細さに襲われました。時は九月、月は明るいですが夜気は冷え冷えと身に沁み、あわれさとともに胸に迫ってきます。座敷に上がってみると昔居た場所に妻が一人で座っているだけで他に人影はありません。妻は目を合わせると、一向に恨む様子を見せるどころかうれしそうに
「これは、これは。またどうしてお出でなさったのですか。いつ、お着きになされましたか」と聞くのでした。夫は任国での長く思いつめたことなど話して
「これからは、こうして二人で暮らそう。持って来た荷物は明日とりよせよう。前居た従者をまた呼ぼう。今夜のうちにこれだけは話しておきたくってナ」(この話はまだ続きます。)
[5111-4848-11-2]
と言うと妻も本当に嬉しそうで積る話に夜の更けるのも忘れてしまいました。
「さあ、もう寝ようよ」と言って別の部屋に入って二人は同衾しました。男は
「ここには、誰もいないのか」と尋ねると、女は
「こんなひどいくらしですもの、召使いの来手だってありませんよ」と秋の夜長を語り明かしました。でも話題はどうしても沈みがちでした。そのうち明け方近くなって二人とも寝込みました。
明け方近くまで話しこんでいたので、明るくなって、日の登ってきたのも気づかなかったほどでした。男がハット目を覚ましたときは日の光がキラキラと射しこんでいました。でもその時間の感違いどころではないことに気づかされました。
それは昨晩遅くまで話し終えて一緒に寝こんだ女がカラカラに干からびて骨と皮ばかりになった死人だったのです。これはどうしたことか。驚くとともに身ぶるいする恐ろしさに、自分の着物だけひっ抱え、走って庭に跳び下りて自分の見間違いかと改めて見直しましたがやはり死人でした。
庭で急いで身支度をするや、まず隣の民家にかけこみ、たった今、初めて来たふりをして
「この隣に住んでいた人、今どこにおいでかご存じありませんか。隣は今誰も住んでないのですか」と訊きました。その家の人は
「あの人は、長年連れ添った夫が見捨てて遠国へ行ってしまわれ、それを深く悲しみ、歎いているうちに病気になってしまいました。しかし看病する人は無く、去る夏とうとう亡くなってしまわれました。野辺の送りをする人もなく今もそのままにしてありますから、怖がって近寄る人もありません。家は空き家同然です」と言われました。
それを聞くと却って恐怖が増して、ますます体がガタガタするのを止めることができませんでした。本当に恐ろしかったと思われます。亡き妻の霊魂が留まっていて夫と会ったのでしょう。きっと長年の思いに耐えかねて夫と枕を並べたのでしょう。こんな不可解・不可思議なことも世の中にはあることだから、そのような原因を作らないようにしなければならないと語りつがれているのです。
(この話はこれまでです。)
2013-01-22T16:30:58+09:00
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四十八釜四十八話蒐 第十話「山神湯釜」(時々コエガ上ルコトアリ)
https://w.atwiki.jp/t-kanai/pages/41.html
[5108-4848-10-1] 昔、このあたりの若者が集まって雑談していました。ある夜のこと誰かが
「この頃夜になると深澤の『山神湯釜』に女が現れてナ、その近くへ行くと赤子を泣かせて『これを抱け・これを抱け』と呼びかけるそうだ」という話を持ち出しました。聞いた一人が
「どうだ、誰か今夜その釜へ行ってみる者はないかナア」と一同を見渡しました。すると『李武』という者が
「俺なら今直ぐでも行ってみてやる」と言い出しました。他の者は「たとえ千人の敵陣に一人で射かけられても釜には行けないナア」とたしなめたのですが、言いだした李武は
「なあに、かんたんな事よ」と言いはります。
「いかに大剛の貴殿でも産女は違うぞ」と負けません。互いに意地が出て来て
「ただ口先で争っていてもつまらない」ということで、お互いに鎧や甲・弓・太刀など出し合って「カケ」をすることになりました。李武も
「もし、果たせなかったらわたしも相応のものを出す」と約束しました。そして李武は
「みなさん、間違いありませんネ」と念を押すと一同も
「もちろんさ、さあ早く」とけしかけました。李武は鎧甲に身を固め弓矢を背負って皆に背を向けて
「ここに背負っている矢を一本釜の岸に立てて来る。明朝行って確かめるがよい」と言いおいて出かけました。
李武は出て行ったが、言い争った連中にも血の気の多い者が三人、李武が本当に行くかどうか見定めようと密かに追いかけました。李武は先に川へ着きました。月末で月はありません。あたりは暗闇だったが李武が水の中を歩む水音は聞こえています。それを三人はじっと耳を澄ませて聞いていました。そのうち矢を抜いて砂に挿したらしく水音が変わりました。その時女の声で
「これを抱いて・これを抱いて」というのが聞こえました。また
「オギャア・オギャア」という赤子の泣き声もします。この間に血生臭い匂いがただよってきました。三人でいてさえ頭の毛が太くなるようで身ぶるいがとまらず恐ろしい、そして李武を思うと他人事ながら我が身も半分死んでしまったようです。
その時、李武が
「ようし、抱いてやろう。どこだ」という。すると女が
「これだよ。それっ」と赤子を渡したようです。李武は袖の上に子供を受け取りました。その一瞬の静寂のあとその女が
「さあ、その子を返しておくれ」と叫んでいます。李武は
「もう、返してはやらん、やい」と言ってこちらの岸に上がりました。
(この話はもう少し続きます、あとは頁を改めます)
[5108-4848-10-1] こうして李武は無事に帰ってきました。三人も追うように走り帰りました。李武は家に入るなり言い争った連中に対し
「お前たちなんのかの、言ったが俺はこの通り釜へ行って赤子まで取ってきたぞ」と言って袖を広げて見せました。しかし、そこには木の葉が少しあるだけでした。そのあと三人で後をつけて行ったこと、そこで見たり、聞いたりしたことを話あったら、行かなかった者も死ぬほどの心地でした。そこで皆、約束の「カケ物」を出しましたが李武も
「ああ、言ってみたかっただけさ、これしきのことができぬものかとな」と言って「カケ」の物はみな返してやりましたので、かえって李武の豪勇さがほめたたえられました。
この産女というのは狐が人を化かそうと化けたのだとか、お産で亡くなった女の人の霊が迷っているのだとか言う人もありまして、供養してやったらそれからはこのようなことはなくなったということです。
(この話はこれで終です)
2013-01-20T17:01:29+09:00
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