エベレスト(4回目)

エベレスト(2012年9月~10月)


判断ミスが重なり、凍傷で指切断の羽目に…



(※)略語 BC→ベースキャンプ C1→キャンプ1 BC:標高5300m C1:6000m C2:6400m C3:7200m C4:7500m
(※)この記事内のツイッター・ブログの投稿時間は日本時間、それ以外は断りがなければ現地ネパール時間(日本時間に対して-3:15)

ルート

難易度の高い西稜アメリカ隊ルート(リンク先③)を選定する。
同年春にナショナル・ジオグラフィック隊が計画するも事前の調査であまりのコンディションの悪さに断念、これまでにも何人もの死者を出した超危険なルート。
前年はノーマルルートのサウスコルにも到達できず、春のシシャパンマでも取り付きで進行不能になった栗城には無謀ともいえる選択だが、事前の記者会見では単独無酸素共有、映画製作とオプションも盛り盛りの大風呂敷を広げる。

なお、このルートはネパール側から登るため、氷河がずたずたに裂けたアイスフォールと呼ばれる難所があり、とても単独では登れず、本当に単独で登るつもりなら初めから選択肢に入れないルート。
毎年のことだが、ルート選びの段階で単独ではないことが分かる
どうしても西稜から登りたいならアイスフォールを通らないルートもあるのだが…

今回のルートは1963年にアメリカ隊が初登頂したルート。図のBC,C1,C2…と登っていく。C2まではノーマルルートと共通。

BC入りが遅れる

ネパール入りが8月末、ベースキャンプ入りが9月12日という、秋の登山としては非常に遅い日程で登山を開始する。→無謀なスケジュールも参照
例年では10月中旬から天候が悪化するため、残された時間はわずかしかない。ここ数年何度もエベレストに行っているので判りきったことであるが、モンスーン明けしていない内はカトマンズからルクラへ飛行機の運航が不安定なため、初っ端からカトマンズでの停滞を余儀なくされ、ルクラに入ったのは9月2日。

公式動画 空港で足止め - KURIKI【EVEREST SHARE 2012】 URL:http://youtu.be/gTgdTsY0KW8

ところが、スケジュールの遅れはこれにとどまらない。ラジコンヘリコプターによる空撮を行いながらのためキャラバン自体がゆっくり進行。加えてヘリのオペレーターをはじめ、高所経験のない初参加のスタッフが4人もおり、BC入り前から高度障害が発生したためペリチェで更なる停滞を余儀なくされる。結局BC入りは登頂予定日(10月5日)まで一ヶ月を切った9月12日だった。もっとも、9月2日に「これから9日間のキャラバンです」と発言しており、ルクラからの日程自体は織り込み済みのようだが、最後のチャンスのはずなのに、これまでの遠征で一番遅くなるのを放置し慌てる様子も無く、登頂の意思を疑われる一因となっている。

参考 これまでベースキャンプ入りした日付
2009年 8月27日
2010年 9月4日
2011年 9月7日
2012年 9月12日
毎年敗退しているにも関わらず、徐々に遅くなっている。
(年をクリックするとソース)

一次馴化をせずC3に特攻?

例年通り、メラピーク、ロブチェピークといった6000m峰でのハイキャンプは行わず。BC入りしてから数日休養し、バスローブ姿でふざけている様子を披露する。
公式動画 ベースキャンプで休息中 - KURIKI【EVEREST SHARE 2012】 URL:http://www.youtube.com/watch?v=cz_Eq8FnUQg

その後、C1に向かうも雪崩を理由にすぐ引き返し1日停滞、再び出発してC2に到達する。ここで一旦BCに戻り体力回復を図るのが普通だが、なんといきなりC3に向かう。6000m峰でのハイキャンプによる一時馴化も行っていない状態での急激な前進は馴化のセオリーから大きく外れており必要以上に体力を消耗するが、何故こんな無茶をしたのか理由は全く不明である。 因みに9月22日は「8000m地点から生中継」とUST配信を宣伝していたが、登攀中で中継できる状態に無いという理由でドタキャンした。
この後、無茶な前進の為消耗し動けなくなったのか、当初予定していた稜線上のキャンプ地には到達せず、7200m地点にテントを張り、そこをC3として2泊した後に下山する。

他人のハシゴ使用を公言

なお、この際にSPCCのアイスフォールドクターがかけたハシゴ使用を公言している。 メスナーは「単独」を厳密に達成するためにアイスフォール帯を通過しないチベット側からエントリーし新ルートを開拓したのだが・・・。

栗城 史多 @kurikiyama 9月16日 - 18:14
これは何でしょう第2弾。これはクレバスにかかる梯子です。エベレストは世界最大のクレバス地帯でネパール政府のSPCCが作ります。無い時は飛びます。 http://twitpic.com/av6dd0

8人のシェルパがルート工作

この年はエベレストのベースキャンプに3つの登山隊が入っており、栗城隊以外にはノーマルルートからエベレスト登頂を目指している韓国隊(国立江原大学校山岳部 ホン・ウンスク隊長)、エベレストの横のローツェを狙っているポーランド隊がいる。この2隊とはC2まで同じルートを共有している。
ポーランド隊によると、栗城隊のクライミングシェルパは8人いて、ポーランド隊と共同でルート工作を行っている。

ポーランド隊のブログ
http://polski-himalaizm-zimowy.wspinanie.pl/blog/2012/09/
ポーランド語→英語→日本語翻訳
2012年9月20日
Japanese expedition, which is to climb the wall of the south
aside from film and eight Sherpas in the journey
is only one climber who wishes to climb solo from the second camp,
エベレストの南側から登っている日本隊は、カメラマンと8人のシェルパを除くと
1人のクライマーだけがキャンプ2からソロで狙っている。

2012年9月21日
Sherpas of EPCC unfortunately failed and did not do its job.
We managed to go around the bridges in cooperation with the Japanese expedition.
SPCCのシェルパは残念ながら失敗して仕事を完遂できなかった。
我々は日本隊と協力してハシゴをかけることができた。

※EPCC=SPCC

単独設定

これまでの遠征の動画は、特に「単独」を批判されるようになってからは、シェルパの痕跡を可能な限り編集で消してから公開していた(何故かハシゴを渡るシーンだけは採用していたが)。しかし今回の動画は、登山中にカメラマンが近くから撮影していたり、フィックスロープが映っていたり、栗城のテントのすぐ横にサポート隊のテントが映っていたりと、編集が甘かった。単独設定はどうでもよくなったのだろうか…?
また、単独だと荷上げできるガス・食料の量に限りがあり、短期速攻で登るのが基本だが、後のアタックステージではガス・食料がもつのが不思議なほど何日も停滞しており、非常に不自然だった。

サポート隊のテントなどが映っている動画

公式動画 高所順応 キャンプ2出発まで - KURIKI【EVEREST SHARE 2012】 URL:http://www.youtube.com/watch?v=dFi1_7zSOfs

0:32~ フィックスロープ
1:42~ カメラマンが近くにいる
2:03~ カメラマンが近くにいる
3:20~ 栗城テントの横にサポート隊のテントが映る。カメラマンが近くにいる。

C2で出発の準備をする栗城 (動画の3:21の場面)
緑が栗城のテント、黄色がサポート隊のテント。
カメラが動いているため、カメラマンによる撮影だと分かる。

BCからの中継

9月29日にはBCからUSTREAMでの生中継と「上から目線の人生相談」を行う。相変わらずの手際の悪さで予告時間から30分近く遅れて開始した。回答の一部をマン・サーダーに丸投げしたりといい加減な態度が目立つが、緊張感の無さからか幾つか重大な発言をしている。

それによれば、

最初の馴化で持っていったテントはC1とC3に置いて来た
(5:00~あたり)

撮影隊はプモリとC2に分かれて撮影を行っている*1
(14:50~あたり)

荷上げしたシュラフは+2℃まで対応だったので非常に寒かった*2
(17:20~あたり)


シュラフについては公式ブログにも次のように書いている。
(C3には)3日分の食料と燃料、軽量のヘッドランプにガスヘッド。薄いマットに+2度までの極薄の寝袋と厚手の靴下だけを持って来ていた。


アタックステージ開始

いきなり撤退

まずは最初にC2に上がるがアタックステージなのにいきなりC2で2日停滞。「吐き気」と発言している事からそもそも馴化がちゃんとできていなかったようで、翌日には結局下山してしまう。

栗城 史多 @kurikiyama 10月5日 - 12:46
ナマステ。現在C2におります。今朝出発する予定でしたが食事をしている最中に吐き気を感じ今日の出発はやめました。微妙なさじ加減ですが違和感を感じたまま出発するのはすごく危険です。今日はここで力をためていきます。これから先4日間はほとんど行動しっぱなしなので今日くらいは休みます。

なお、この数日が天候的には数少ないチャンスであり、C2までルートを共用していたポーランド隊はC4からローツェへ向けてアタックしていた(これ自体はシェルパの滑落死により敗退している)

C2の時点で凍傷

下山してから再びC2まで登るが、この時点で人差し指に凍傷を負う。
しかし、その後も登山を強行。この判断ミスが後の重症化に繋がる。
ガス・食料が乏しい中、C2で3日も停滞しており、凍傷の影響もあったと思われる。
C2で凍傷を負っていた事実はしばらく公にされず、下山後2ヶ月以上経ってからテレビ放送の中で明らかになった。
画像出典 NHK「ノーリミット 終わらない挑戦」2012年12月23日放送

高所に長時間滞在して体力を消耗

10月13日にC3に上がったが、14、15日の2日間は何もせずに停滞。
C3は7000mを越えており、そこにいるだけで体力を消耗していく。
高所登山のセオリーでは、体力の消耗を抑えるために短期速攻で登り、無理そうならすぐに下山するが、
今回の登山では必要以上に高所に滞在して体力を消耗してしまう。
そのことは、栗城と親しい登山家の野口健も心配していた。

野口健 @kennoguchi0821 10月14日 - 13:19
栗城さんは?

野口健 @kennoguchi0821 10月14日 - 13:32
ステイ?二泊はつらい。RT @nomitetsunori: C3停滞です。

舌がただれて食事が取れず

C3で高所衰退が進み、舌がただれて食事を取れなくなってしまう。
そのことをファンクラブ会員向けメールで報告し、メールの中で一旦下山すると発表するが、
数時間後に下山を撤回。C3に留まり登山続行となる。

野口健 @kennoguchi0821  10月15日 - 19:57
栗城さんは?

シカミーニョ:市川鹿美 @shikaminho  10月15日 - 20:13
今日C4に上がる予定でしたが、口の中が白くただれて痛みもあり全く食事が取れなかった為、
体力を考えて今日もC3ステイとなりました。ただ天気予報の関係で 明日再びC4へアタックの予定です。
体力が心配ですね。口の中のただれは何からきているのか。

シカミーニョ:市川鹿美 @shikaminho  10月15日 - 20:19
あっ。。口の中ではなくて、舌、でした。原因不明で白くただれて痛みがあるそうです。
C2で3日のあとC3でも3日。 かなり身体は厳しいですよね。 心配です。

野口健 @kennoguchi0821  10月15日 - 20:22
C3での滞在は疲労の上積み。上がるか下がるかのどちらかにした方が。
RT @shikaminho: 今日C4に上がる予定でしたが口の中が白くただれて痛みもあり
全く食事が取れなかった為、体力を考えて今日もC3ステイとなりました。
ただ天気予報の関係で 明日再びC4へアタックの予定です。

シカミーニョ:市川鹿美 @shikaminho  10月15日 - 20:35
厳しいですよね。。一度C2へ下りるといっていたのですが、予報の回答待ちだったようです。
20日以降で風が弱まるタイミングがみられないとの事で、アタックのチャンスは
18日頃までだろうとの回答だったようで…明日再びC4へ進む事に。


なお、ファンクラブ会員だけでなくスポンサーにも同じ報告をしている。
  • スポンサーのアルマーニエクスチェンジのツイッター(下山撤回前)
A|X アルマーニ エクスチェンジ ‏@AX_JAPAN 2012年10月15日 - 14:00
☆A|X NEWS☆ 栗城さん@kurikiyamaは今日からキャンプ4(8000m)を目指し進む予定でしたが、
体調不良により一旦キャンプ2(6400m)まで下山し休養するそうです!
栗城さん、お大事にしてください…!AX一同応援しています! #ax_japan

  • グリコのファンサイトでの報告(下山撤回後)
現在、栗城さんはキャンプ3(7200m)にステイしています。
アタック予定が10/18(木)となりました。登頂時間は日本時間15-17時頃です。
天気予報では、20日以降で風が弱まるタイミングが今のところは見られず、チャンスがあるとすれば18日頃までであろうと言われています。
舌がただれ、食事を摂れないこともあり、一旦はキャンプを下げようともしましたが、このままキャンプを下げずにアタックを続けることを決断をされました。
明日10/16(火)、あらためてキャンプ4(8000m)を目指して進む予定です。

別ソース 著名ファンのブログ、ツイッターでの報告01 02 03 04 05 06 07


8000mに達せない状況での強引なアタック

16日には8000mの最終キャンプまで到達する予定だったが、体調不良の影響もあってか7500mまでしか登れず。
本人発表では風を避けるためとしている。

栗城ブログ 2012-10-16 15:31:59
http://ameblo.jp/kurikiyama/entry-11381250844.html
標高8000mのキャンプ4に向かう予定でしたが、
暴風が直撃する西稜にテントを張ることを避けるため、
標高7500mの稜線下の岩陰にテントを張って
ステイすることに致しました。

そこを最終キャンプC4とし、強引に頂上アタックをかけることになる。

(※)通常、エベレストの最終キャンプは8000mを越える場所に設置する。
栗城の最終キャンプは7500mで、通常と比較しても、本人の実績からしても登頂を狙うには高度が低すぎる。

エベレストの最終キャンプの標高は以下の通り。
ネパール側一般ルート(南東稜) C4 7980m
チベット側一般ルート(北稜) C6 8300m
アメリカ隊(西稜初登頂ルート) C5 8250m
重廣・尾崎隊(北壁初登頂ルート) C5 8230m
アメリカ隊・重廣隊は後半のルートが重なっているが、いずれもこの高さから出発しても登頂は日没ギリギリとなり、山頂付近でビバークを余儀なくされている。


足も凍傷になる

ファンクラブ会員向けメールで、足が凍傷になったことが発表される。

栗城と親しく、講演会で共演したこともあるてんつくマンのブログに転載された会員向けメール
http://ameblo.jp/tentsukuman-san/entry-11381885324.html 2012-10-17 18:07:57
栗城隊メンバーから連絡がありました。(中略)
登頂時間は、日本時間の明日18日(木)15時頃を目標に定めております。
昨晩かなりの冷え込みだったようで、
足が凍傷っぽいと言っていたそうで心配ですが、
気持ちは山頂に向けて気合十分の様子です。

なお登頂予定日の18日は風が強く、実力ある登山家でも登頂は困難な状況だったが、
そのことは本人も認識していた。

栗城ブログ 2012-12-20 21:04:46
http://ameblo.jp/kurikiyama/entry-11431247239.html
予報ではジェットストリームが比較的弱まる16-17日以外は、もうチャンスはない。

本人の実力、体調、状況からして登頂は不可能であり、
2度目のシシャパンマに続いて形だけのアタックとなった。
スポンサーを集め、ファンクラブを作り、テレビで番組が組まれ、
大金が動いている状況では、アタックせずに下山できる状況ではなかったと思われる。

※NHKで放送された「ノーリミット 終わらない挑戦」によるとC4で食事をとれるくらいには回復した模様。頂上アタック前に体調が良いというナレーションが入ったが、番組のストーリー作りのためにそのように編集しただけの可能性もあり、事実かどうかは不明である。
※なお、Mountain-Forecast.comの予報では14-16日に比較的風が弱く、その後は風が強かった。もちろん、ブログのエントリから推測できるように栗城が使っていた猪熊予報でも同様だったと思われる。

登頂断念

17日19:30にC4から頂上アタックを開始するが、翌朝6:30に登頂を断念。
本人の発表によると、「ホーンバインクーロワールの入り口まで到達」「8000m到達」。
ただし、C3より上の写真・映像はウェブ上に一切公開されていない。

2ヶ月後にNHKがこのエベレスト登山を特集した番組を放送したが、
頂上アタック中の映像は栗城の顔アップのみで、ホーンバインクーロワールの映像は無く、
どこまで登ったのかについては番組内で触れなかった。

登山専門誌の「山と渓谷」と「ROCK & SNOW」は最高到達地点を7700mと認定した(※)。

登頂断念の知らせを聞いた野口健のコメント

野口健 @kennoguchi0821 10月18日 - 11:23
そうですか。状況からして8000Mを越えるのはかなり厳しいかなと思っていましたが。
色々あるだろうけれど、まずは無事に下山すること。
RT @sono_RR_KR_MtF: 栗城さんの事ですか?残念だけど…下山を始めたみたいですが…

(※)『山と渓谷』2102年12月号 P139、『ROCK&SNOW』 NO,058 P50。 他のメジャー誌『岳人』『Peaks』はこのエベレスト挑戦を一切報じなかった。

凍傷で動けなくなり、シェルパにより救助、ヘリに収容される

NHKの番組によると、C4に下山する途中で凍傷の程度がかなり悪化し、
「手が完全に動かなくてロープも握れない」状態となる。
何とか7500mのC4に到達するが、凍傷で自力下降できなくなり救助を要請。
「寒い、水も飲めない、酸素も水もないと厳しいかもしれない、指はもう駄目だと思う、心も体も厳しい状況」と無線で訴える*3
http://www.veoh.com/watch/v56242805hbQaX3sd


凍傷でコンロを操作できないため、暖をとれず水分も補給できなくなり、症状がさらに悪化する。
翌19日夕方にシェルパとC4で合流し、下山を開始。夜通し下山して20日朝にC2に到着。
一日ステイして21日朝にC2でヘリコプターに収容され、カトマンズの病院に搬送される。

ヘリコプター内にて
画像出典 NHK「ノーリミット 終わらない挑戦」2012年12月23日放送



凍傷治療

詳細なまとめは別ページ→エベレストで負った凍傷の治療経過


参考

このページで書ききれない詳細な情報は別ページにまとめ

エベレスト(4回目)の詳細情報


  • 今回のエベレスト挑戦が分かりやすく簡潔にまとめてあるサイト
栗城史多氏が、またも、エベレスト登頂に失敗したようです
http://matsumo.seesaa.net/article/296180949.html
栗城史多氏が、またも、エベレスト登頂に失敗したようです(続)
http://matsumo.seesaa.net/article/298829578.html
TV「ノーリミット 終わらない挑戦」
http://matsumo.seesaa.net/article/309587209.html

  • NHK「ノーリミット 終わらない挑戦」のナレーションが転載されているサイト

テレビ特番

NHK「ノーリミット 終わらない挑戦」
2012年12月23日17:15~18:00、再放送2013年1月1日13:05~13:50

番組の特徴
  • 「単独」「無酸素」「ソロ」という言葉を使わず、「単独」を「一人」と言い換えていた。
  • 頂上アタック中の映像は「顔面アップ」「足元の靴先」「ダブルストックの右側の先」のみ。周囲や風景の映像は一切なし(当然ホーンバインクーロワールの映像もなし)。
  • どこまで登ったのかについては触れずに、無線で登頂断念の報告をしているシーンのみを放送 (無線では「クーロワールの手前にいます」という会話がある)。最高到達地点の標高は放送せず。
  • C4が7500mなのを、最初から予定通りのように編集。
  • ハシゴ渡り1回と、シェルパが救助に向かったこと以外は、完全に単独で登っているかのように編集。
  • シェルパによる救出シーンはカット。いきなりヘリコプターで下山。
  • ラストシーンは真っ黒に壊死した指と、虚ろな目。非常に後味が悪い。


当初の予定

ファウスト・アドベンチャーギルドなどで宣伝されていた例年とは異なり、出発前に詳細なスケジュールが公開されていない。 登頂予定日がブログ、フェイスブックのエントリーのサブタイトルとして「あと○○日」と記されていたが、カトマンズでの停滞中になんの断りも無く変更された(8月27日のエントリーではあと39日、9月1日のエントリーではあと37日になっている)。

実際の行程表

BC入りまで

8月26日 日本出発
8月30日 カトマンズ 飛行機飛ばず
8月31日 カトマンズ 飛行機飛ばず
9月01日 カトマンズ 飛行機飛ぶが引き返す
9月02日 ルクラ着→パクディン2610m
9月03日 パクディン→ナムチェバザール3440m
9月04日 移動なし
9月05日 ナムチェバザール→タンボチェ3880m 発熱と腹痛を訴える
9月06日 タンボチェ→ペリチェ4240m
9月07日 移動報告なし
9月08日 移動報告なし
9月09日 ゴラクシップ5100m着
9月10日 移動報告なし 頭痛を訴える
9月11日 ゴラクシップからカラパタール5550m往復
9月12日 ゴラクシップ→BC
9月13日 移動報告なし
9月14日 移動なし
9月15日 移動なし

高所順応

9月16日 BC→C1途中まで
9月17日 BC
9月18日 BC
9月19日 BC→C1
9月20日 C1→C2
9月21日 C2ステイ
9月22日 C2→C3 生中継の予定だったがドタキャン
9月23日 C3
9月24日 C3→C2
9月25日 C2→BC
9月26日 BC
9月27日 BC
9月28日 BC
9月29日 BC BCから生中継
9月30日 BC
10月1日 BC

キャンプの標高(発表された値)
BC 5300m
C1 6000m
C2 6400m
C3 7200m(当初の予定は約7400m)
C4 7500m(当初の予定は8000m)

アタックステージ

10月2日 BC→C1
10月3日 C1→C2
10月4日 C2
10月5日 C2 吐き気を理由に停滞するとツイート
10月6日 C2→BC 「今後数日間上部で暴風が続く」ため、としてBC迄下山とHP更新
10月7日 BC ポーランド、韓国隊も下山したとツイート
10月8日 BC

10月9日 BC→C2
10月10日 C2 この時点で人差し指が凍傷
10月11日 C2
10月12日 C2
10月13日 C2→C3 ※これ以降の写真・ビデオはウェブ上に全く公開されていない。
10月14日 C3
10月15日 C3 舌がただれて食事できず
10月16日 C3→C4 エベレストのチベット側が見えると連絡。
10月17日 C4→ 19:15にC4からアタック。「足に多少の凍傷がある」と発表。
10月18日 →7700m→C4 朝6:30アタック断念。凍傷が悪化。17:30にC4に戻る。
10月19日 C4→ 両手凍傷でC4から下山できず。夕方、救助に来たシェルパとC4で合流、下山開始。
10月20日 →C2 朝6時にC2着、C2ステイ
10月21日 C2→病院 朝にヘリで救助されC2からカトマンズの病院に

下山後

10月21日 朝にヘリで救助され6400m地点からカトマンズの病院に
10月22日 カトマンズの病院で入院継続
10月23日 日本に帰国、入院
10月24日 日本で入院後初ツイート
10月25~30日 沈黙 何も発表されず
10月30日 凍傷で両手指数本を第一関節まで切断の見込みと発表
10月31日~11月13日 沈黙 何も発表されず
11月14日 右手親指以外の両手指9本を第二関節まで切断の見込みと発表。突然インドに治療に向かう。

以後の詳細は別ページ→エベレストで負った凍傷の治療経過



ちなみに正月にNHKの番組を見た人に凍傷について疑問を呈されると、こう返信している。

栗城 史多 @kurikiyama 2013年1月1日 - 21:48
C2で腫れいたのは炎症で膿が溜まっているだけ。C3で針で出しました。その後問題はないです。登山に影響する場合はやめます。
RT @Parasqualidus: 指が腫れた時点での下山は無かったのでしょうか?上がって治る事無いでしょうから、あの時下山すべきだったのではと思いました。

栗城 史多 @kurikiyama 2013年1月1日 - 22:56
凍傷みたいに痛むと言っているだけで、凍傷は腫れないし、凍傷のままで登るなんて考えられないです。
RT @Parasqualidus: @kurikiyama 番組では凍傷を強調しておられたようでしたから‥‥。 pic.twitter.com/hPTyvAdB


どうやら、基本的な凍傷の知識がまるっきり無かったようである。登山の本を見ればすぐに分かることであるが、凍傷は腫れるし、できた水疱をつぶすと感染症の危険が増す上、患部が乾燥して症状が悪化するので水疱を潰すことはご法度である。

(参考)日本クリニックのウェブサイト
凍傷にかかると、まず皮膚がひりひり痛み始め、その内しびれるようになり、徐々に感覚が鈍くなり、ついには感覚が完全に失われてしまいます。次に、暖めて血行がもどると蒼白だった皮膚は今度は赤く腫れ、感覚も戻って来ます。 少しひどい場合には、赤紫色に腫れ上がり、かなりの痛みを伴います。

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最終更新:2015年10月14日 08:20

*1 例年プモリ峰(7165m)の中腹(約5600m)に設営している中継・撮影用ハイキャンプのことと思われる。

*2 シュラフには「快適使用温度域」「最低使用温度域」があり、栗城の言う+2℃がどちらか判明していないが、どちらにしても通常スリーシーズン用と呼ばれ、夏の3000mクラスの縦走や春秋の中級山岳で使用するシュラフのスペックである。

*3 文章にすると冷静だが、実際には語尾は「~~なの」と子供が駄々を捏ねるような情けない口調である。