マッキンリー

2004年、当時大学生だった栗城は自身初の海外遠征としてマッキンリーに挑んだ。

物干し竿

マッキンリーは素晴らしかった。そこは一歩一歩が新しい世界だった。植村をまねして落下防止の物干し竿を腰にくくり付けた。これがあればヒドゥン・クレバスを踏み抜いても引っかかって落ちることはない。
「ところが、用を足そうと思って物干し竿を外した途端にズボっと。下半身で止まったからよかったですけど、油断大敵ですねぇ」
落ちた時は何となく分かるという。足下が空洞なので感触が違う。でもそれに気がついた時はもう遅い。登山では前の足跡をトレースすることは良しとはされない。なぜなら一人目がギリギリで二人目で雪が崩れるかもしれないからだ。

登ったのはハイシーズンのノーマルルート。行列ができるほど人が多い上、完全にトレースがついている道を辿っているにも関わらず、ヒドゥン・クレバスとは一体…
なお、公開されている動画では「落下防止の物干し竿」は確認できない。
(ちなみに雪山では、トレースを外れるとクレバスとは関係なく下半身がずぼっと嵌ることはよくある。)

フィックスロープでの行列やトレースを辿っていることは公開されている動画で確認できる。
http://www.youtube.com/watch?v=frb2UnhhTeU
なお、動画の頂上のシーンで、少し離れた場所から栗城を撮影しているカメラが動いており、栗城とは別に撮影者がいることが分かる。 これについては「他の登山者に撮ってもらった」と過去にテレビ番組(番組名は不明)と語っていた。

当時の大学講師の証言

当時栗城が懇意にしてもらっていたという大学講師は、ツイッターでこう語っている。

@almore @aloha_aya 入山許可は本人が書いたんです。日本語で書いたのをエキサイト翻訳にペーストしてそのままカナダに送りつけたんですよ。後日、入山許可が下りましたって、全く英文を読めないくせに言うので理由を尋ねたら、notが書かれていませんってエバっていました。

@almore @aloha_aya これがホントに許可証だったんです。私がやらされたのはカナダの空港からマッキンレーまでのバス予約なんです。栗城君想像を絶するほど英語できなかったから。出発前日に懇意の喫茶店まで呼び出されて、ここから国際電話して下さいってね。豪快な学生でした。

@aloha_aya @almore あとで訊いたら無許可で電話借りてやがったんですよ。当時、周囲の人は相当ひどい目に遭いましたが、ほとんどの人がそれをむしろ楽しんでましたね。私もかつて、夕食ご馳走しますって言われて呼ばれたはずなのに、なぜか二人分払わされたことがありました。

肝心の手続きは直前まで出来ておらず、講師におんぶに抱っこで迷惑を掛け捲りだった模様。

広報いまかね

栗城の出身地である北海道今金町の広報誌、「広報いまかね」2004年8月号に遠征の様子が掲載されている。広報誌の担当者が遠征に同行しているという話はなく、遠征後の取材で本人から聞いた(吹聴された)と思われる内容が掲載されている。
広報いまかね2004年8月号(pdf)

▼広報いまかね 2004年8月号「マッキンリー単独登頂 海外初遠征で世界初 今金出身の栗城さん」

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最終更新:2022年10月29日 11:59
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